「感性科学」を研究されている九州大学大学院教授の三浦佳世さんの講演「時間の感性心理学 意識・知覚・印象」を拝聴しました。心理学の門外漢であるため、ご説明された、どの話を伺っても新鮮でした。
三浦さんは、人間環境学研究院で感性心理学を研究されています。その独自性は、「知覚」を意味する古代ギリシャ語の「アイステーシス」をキーワードに、感覚から感情まで、日常世界から芸術まで、生理学から文化までを、実証科学の手法を用いて、知覚(例えば、見ること、触れること)と感性(感じること、表現すること)を共に考える視点で研究することのようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5c/e06ec86efec2b38813d5034f8d81b926.jpg)
例えば、我々の脳は「観察対象の第一標的を呈示(確認?)した後は、0.5秒間は後続情報処理ができない」とのことです。脳もある一定量の情報処理をすると、その処理時間内は次の情報処理に取りかかれず、一瞬の空白時間ができると、素人なりに理解しました。この認識が正しいのかどうかは、不明です。三浦さんは「次の処理を受け付けないのか、処理後の干渉・抑制を受けているのかと解釈している」と説明されます。この結果、情報処理の総合処理にはある一定時間がかかるため、0.5秒前の現実を人間は見ていることになるそうです。
また、人間が情報を取り込む際にも、間欠的に情報を摂取しているそうです。例えば、人間の目は1秒間に5回以上、動かすことができず、間欠的にタイム・サンプリングした情報を再構築して認識するそうです。この結果、光による視覚情報、音による聴覚、接触による触覚は、それぞれ4.5ミリ秒、30ミリ秒、10ミリ秒の処理時間がかかり、脳内の情報処理は30ミリ秒かかるため、同時であるとか継続してなどの感覚は順番通りの知覚は実際とは異なることがあるとのことです。不思議な現象です。ある現象が先に起きたかどうかは、脳内の情報処理に左右され、視覚や聴覚での入力順序とは異なる知覚があるとの話です。
絵画や写真などを観賞する時には、人間は共通感覚として、その中に時間を見ているそうです。人間は、絵画や写真を観賞する際に、多様な「時間印象」や「速度感」を感じているそうです。どのような時間を、何によって感じるのかは、私たちが時間をどのようなものとして捉え、あるいは何を手がかりに時間の存在に気づいているかを考える基盤手を与えるのだそうです。
ここでの時間とは「過去・現在・未来」という時制としての時間ではなく、「停止・持続・変化」という速さとしての時間を、人間は見ているそうです。ある一群の絵には「変化・動き・速度感」を共通して感じる一方、ある一群の絵には「持続する時間」を共通して感じるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/9f/986bb7bc5eb7edd6437624dc91342de6.jpg)
こうした一群の絵画は、空間周波数の高周波成分が多いと速さを強く感じ、空間周波数の低周波成分が多いと持続する時間を強く感じるのだそうです。絵画や写真を見る時の「時間の知覚」は視覚情報や表現内容が関係していると推論できるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/05/ae1a4e5ae8f086e043c6d2b3a1867d8b.jpg)
絵画や写真の対象物が情報量が多く、処理時間がかかる際には処理負荷が大きいので、時間知覚を強く感じるそうです。
三浦さんは、特定の時間印象や速度感を感じさせる視覚要因(空間周波数、モーションブラー、アクションライン、余白、色彩)を調べ、時間の捉え方についても考えているそうです。
人間が何を「本物」として判断するのか、その判断は何に基づいて情報処理するのか、というリアリティ判断の問題も研究されています。バァーチャルな時代での社会文化的視点からの考察もされています。多様なレベルで現象を考えることは、アイステーシス研究の基本姿勢だそうです。
ほとんど予備知識がない感性心理学の話は、いろいろな面で刺激的でした。例えば、絵画の中の「停止・持続・変化」を強く意識させる表現法として、日本の琳派の絵が頭に浮かびました。桃山時代後期に生まれ、近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派の日本画です。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟が受け継いだ一連の絵の秘密を知った気分になりました(素人の自己満足です)。
三浦さんは、人間環境学研究院で感性心理学を研究されています。その独自性は、「知覚」を意味する古代ギリシャ語の「アイステーシス」をキーワードに、感覚から感情まで、日常世界から芸術まで、生理学から文化までを、実証科学の手法を用いて、知覚(例えば、見ること、触れること)と感性(感じること、表現すること)を共に考える視点で研究することのようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5c/e06ec86efec2b38813d5034f8d81b926.jpg)
例えば、我々の脳は「観察対象の第一標的を呈示(確認?)した後は、0.5秒間は後続情報処理ができない」とのことです。脳もある一定量の情報処理をすると、その処理時間内は次の情報処理に取りかかれず、一瞬の空白時間ができると、素人なりに理解しました。この認識が正しいのかどうかは、不明です。三浦さんは「次の処理を受け付けないのか、処理後の干渉・抑制を受けているのかと解釈している」と説明されます。この結果、情報処理の総合処理にはある一定時間がかかるため、0.5秒前の現実を人間は見ていることになるそうです。
また、人間が情報を取り込む際にも、間欠的に情報を摂取しているそうです。例えば、人間の目は1秒間に5回以上、動かすことができず、間欠的にタイム・サンプリングした情報を再構築して認識するそうです。この結果、光による視覚情報、音による聴覚、接触による触覚は、それぞれ4.5ミリ秒、30ミリ秒、10ミリ秒の処理時間がかかり、脳内の情報処理は30ミリ秒かかるため、同時であるとか継続してなどの感覚は順番通りの知覚は実際とは異なることがあるとのことです。不思議な現象です。ある現象が先に起きたかどうかは、脳内の情報処理に左右され、視覚や聴覚での入力順序とは異なる知覚があるとの話です。
絵画や写真などを観賞する時には、人間は共通感覚として、その中に時間を見ているそうです。人間は、絵画や写真を観賞する際に、多様な「時間印象」や「速度感」を感じているそうです。どのような時間を、何によって感じるのかは、私たちが時間をどのようなものとして捉え、あるいは何を手がかりに時間の存在に気づいているかを考える基盤手を与えるのだそうです。
ここでの時間とは「過去・現在・未来」という時制としての時間ではなく、「停止・持続・変化」という速さとしての時間を、人間は見ているそうです。ある一群の絵には「変化・動き・速度感」を共通して感じる一方、ある一群の絵には「持続する時間」を共通して感じるそうです。
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こうした一群の絵画は、空間周波数の高周波成分が多いと速さを強く感じ、空間周波数の低周波成分が多いと持続する時間を強く感じるのだそうです。絵画や写真を見る時の「時間の知覚」は視覚情報や表現内容が関係していると推論できるそうです。
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絵画や写真の対象物が情報量が多く、処理時間がかかる際には処理負荷が大きいので、時間知覚を強く感じるそうです。
三浦さんは、特定の時間印象や速度感を感じさせる視覚要因(空間周波数、モーションブラー、アクションライン、余白、色彩)を調べ、時間の捉え方についても考えているそうです。
人間が何を「本物」として判断するのか、その判断は何に基づいて情報処理するのか、というリアリティ判断の問題も研究されています。バァーチャルな時代での社会文化的視点からの考察もされています。多様なレベルで現象を考えることは、アイステーシス研究の基本姿勢だそうです。
ほとんど予備知識がない感性心理学の話は、いろいろな面で刺激的でした。例えば、絵画の中の「停止・持続・変化」を強く意識させる表現法として、日本の琳派の絵が頭に浮かびました。桃山時代後期に生まれ、近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派の日本画です。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟が受け継いだ一連の絵の秘密を知った気分になりました(素人の自己満足です)。