3月11日午後3時前に起こった東日本大震災(東北関東大震災)から8日目を迎えました。自然災害・天災の無慈悲さに、かなり打ちひしがれています。
それ以上に、ショックを受けていることは、日本政府の内閣や経済産業省(原子力安全・保安院)、東京電力の記者会見での担当者の発言の仕方です。「東京電力から○○と報告を受けている」などの伝聞報告が多いことです(ここで、あまり批判的なことを言うのは、本意ではありません)。内閣の首相などのリーダーを任された者は、収集した情報・データが現実には不確実なものが含まれていても「現時点では、○○するのが最善と判断した」との決断内容を、自分の言葉で伝えるのが本務です。将来、揚げ足取りを受けないように、伝聞形式によってあいまいに発言することではありません。将来、決定過程の再検証の際に、決断したことの責任をとることとし、現時点での決断の責任の所在をあいまいにしないことが、リーダーの責務です。
CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)などのリーダーを嘱託(しょくたく)された者は、ある程度のリスクの下に代表者として決断していることを自ら自覚することが大事です。
話が飛躍しますが、日本には起業家(アントレプレナー)があまりいません。少なくとも、ここ数10年間はあまり登場していません。起業家は自分の力で、ビジネスモデルなどの仕組みをつくり、その責任を取る人物です。さらに話が飛びます。1980年代半ばに、東京電力の福島第二原子力発電所の圧力容器などの主要機器を組み上げている最中の東芝の工場を見学させていただいたことがあります。「福島第二以降は、建設計画が未定なので、今しか見学の機会がない」とのことで、見学させていただきました。当然、非常用炉心冷却装置(ECCS)などの多重に用意された安全装置・技術の説明を受けました。その後、1990年代半ばに、東京電力は新潟県の柏崎刈羽原子力発電所の第6号機と第7号機を建設します。この時を境に、東京電力は原子力発電所の新設を一時停止したままでした(現在、新設を予定しています)。
以下は、これまでに得た多少の知見と独断と偏見による意見です。1980年代から1990年代にかけて確立された原子力発電所(福島原子力発電所は、BWR=沸騰水型原子炉)の安全技術・仕組みを基に、東京電力は原子力発電所を運営していると、想像しています。東京電力や東芝、日立製作所などの大先輩たちが確立した大枠の仕組みを基に、1990年代半ばからは改良を加えて運営されてきたとは思います。
現在の福島原発の事故の問題がひとまず治まった後に、急いで検証すべきことは、1980年代から1990年代にかけて確立された運営技術をどの程度、根底から再検討されたかという事実の検討です。安全神話を前提に、再検討が不十分なままに安全技術が“伝承”がなされていなかったどうかを調べる検証作業です。現在の原子力発電所を運営する経営陣や事業責任者などのリーダーたちが、安全技術や運営技術を的確に判断・決断し続けてきたかを実証する作業は、現在稼働中の原子力発電所に対する再検証として不可欠です。
個人的には現在、日本の先進技術の優秀性が部分的に崩れた点に、衝撃を受けています。自ら検証し切れていなかった、いくつかの点に反省すべきことが多いと思います。この点の再検証は、日本の今後の成長戦略を再検証することだと、信じています。
3月14日から始まった東京電力の計画停電による交通網の混乱によって、今週はほとんどの約束が中止や延期になりました。交通網の混乱を避けるために、自宅にほとんどいました。数100メートル先に見える斜面林に元々、植えられていたコブシ(辛夷)の大木が花を咲かせ始めています。武蔵野の面影を感じるものです。そのコブシの大木の近くに設けられた小さな公園では、サンシュ(山茱茰)の木が花を咲かせています。このサンシュは園芸種のようです。
この公園に、3月中旬に足を踏み入れたのは初めてです。ミツマタが多数植えられていることに初めて気が付きました。
公園の近くの農家の庭に、サクラが咲き始めていました。種類は分かりません。
大震災をよそに、季節は人間の思いに関係なく進んでいます。複雑な思いです。頭では強い意志を持って、日々を過ごそうとは思っていますが、時々、そうもならない気分にもなります。
それ以上に、ショックを受けていることは、日本政府の内閣や経済産業省(原子力安全・保安院)、東京電力の記者会見での担当者の発言の仕方です。「東京電力から○○と報告を受けている」などの伝聞報告が多いことです(ここで、あまり批判的なことを言うのは、本意ではありません)。内閣の首相などのリーダーを任された者は、収集した情報・データが現実には不確実なものが含まれていても「現時点では、○○するのが最善と判断した」との決断内容を、自分の言葉で伝えるのが本務です。将来、揚げ足取りを受けないように、伝聞形式によってあいまいに発言することではありません。将来、決定過程の再検証の際に、決断したことの責任をとることとし、現時点での決断の責任の所在をあいまいにしないことが、リーダーの責務です。
CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)などのリーダーを嘱託(しょくたく)された者は、ある程度のリスクの下に代表者として決断していることを自ら自覚することが大事です。
話が飛躍しますが、日本には起業家(アントレプレナー)があまりいません。少なくとも、ここ数10年間はあまり登場していません。起業家は自分の力で、ビジネスモデルなどの仕組みをつくり、その責任を取る人物です。さらに話が飛びます。1980年代半ばに、東京電力の福島第二原子力発電所の圧力容器などの主要機器を組み上げている最中の東芝の工場を見学させていただいたことがあります。「福島第二以降は、建設計画が未定なので、今しか見学の機会がない」とのことで、見学させていただきました。当然、非常用炉心冷却装置(ECCS)などの多重に用意された安全装置・技術の説明を受けました。その後、1990年代半ばに、東京電力は新潟県の柏崎刈羽原子力発電所の第6号機と第7号機を建設します。この時を境に、東京電力は原子力発電所の新設を一時停止したままでした(現在、新設を予定しています)。
以下は、これまでに得た多少の知見と独断と偏見による意見です。1980年代から1990年代にかけて確立された原子力発電所(福島原子力発電所は、BWR=沸騰水型原子炉)の安全技術・仕組みを基に、東京電力は原子力発電所を運営していると、想像しています。東京電力や東芝、日立製作所などの大先輩たちが確立した大枠の仕組みを基に、1990年代半ばからは改良を加えて運営されてきたとは思います。
現在の福島原発の事故の問題がひとまず治まった後に、急いで検証すべきことは、1980年代から1990年代にかけて確立された運営技術をどの程度、根底から再検討されたかという事実の検討です。安全神話を前提に、再検討が不十分なままに安全技術が“伝承”がなされていなかったどうかを調べる検証作業です。現在の原子力発電所を運営する経営陣や事業責任者などのリーダーたちが、安全技術や運営技術を的確に判断・決断し続けてきたかを実証する作業は、現在稼働中の原子力発電所に対する再検証として不可欠です。
個人的には現在、日本の先進技術の優秀性が部分的に崩れた点に、衝撃を受けています。自ら検証し切れていなかった、いくつかの点に反省すべきことが多いと思います。この点の再検証は、日本の今後の成長戦略を再検証することだと、信じています。
3月14日から始まった東京電力の計画停電による交通網の混乱によって、今週はほとんどの約束が中止や延期になりました。交通網の混乱を避けるために、自宅にほとんどいました。数100メートル先に見える斜面林に元々、植えられていたコブシ(辛夷)の大木が花を咲かせ始めています。武蔵野の面影を感じるものです。そのコブシの大木の近くに設けられた小さな公園では、サンシュ(山茱茰)の木が花を咲かせています。このサンシュは園芸種のようです。
この公園に、3月中旬に足を踏み入れたのは初めてです。ミツマタが多数植えられていることに初めて気が付きました。
公園の近くの農家の庭に、サクラが咲き始めていました。種類は分かりません。
大震災をよそに、季節は人間の思いに関係なく進んでいます。複雑な思いです。頭では強い意志を持って、日々を過ごそうとは思っていますが、時々、そうもならない気分にもなります。