人気小説家の原田マハさんが書いた「リーチ先生」を読み終えました。この小説は、日本で陶芸家として活躍したイギリス人陶芸家バーナード・リーチさんの自伝風小説です。ノンフィクション風なエピソードの積み重ねが面白い小説です。
この小説は、2016年10月30日に集英社が発行しました。価格は本体が1800円プラス消費税です。ページ数は中身が464ページと少し分厚いです。
この小説「リーチ先生」は、苦労して陶芸家になった沖亀之介という少年・青年の眼を通して、イギリス人陶芸家バーナド・リーチさんが日本で陶芸家として成長していく過程を描いています。
横浜市の小さな大衆食堂で住み込むで働いていた沖亀之介という少年は、常連客の外国人を相手にするために、ある程度の英語を自然と身につけていました。その大衆食堂に青年の高村光太郎が訪れ、沖亀之介に高村家の書生にならないかと誘います。沖亀之介が描いたスケッチを見て、その才能に感心したからです。
高村光太郎は横浜市から米国に向かう船で、米国に絵画を学びに行くところでした。
その沖亀之介という少年対して、高村光太郎は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)で彫刻を教えていた父の高村光雲への紹介状となるメモを渡します(別に、高村光太郎は父の高村光雲に手紙を送っています)。
絵描きになりたいとの思いから、沖亀之介は高村光雲邸を訪ね、書生になんとか採用されます。
その高村光雲邸に英国人青年のバーナド・リーチさんが訪ねてきます。友人の紹介を基に訪ねて来たバーナド・リーチさん(当時英国領だった香港生まれ)は日本で生活するために、当時珍しかったエッチングによる版画を教え始めます。
ある程度、英語が話せる沖亀之介は、東京都内で生活を始めたバーナド・リーチさんの手伝いに転職します。
バーナド・リーチさんはエッチングによる版画を、当時の日本に伝えるために、エッチング教室を開きます。ここに、当時(明治時代から大正時代に移るころ)、日本に西洋文化・美術の新しい波に影響を受けた白樺派の青年達がやってきます。
学習院高等科出身の若い青年達(武者小路実篤さんなど)は「自然」「人間」を尊重する運動の中で、フランスの印象派などの新しい絵画(セザンヌやゴッホなど)を日本に伝えていきます。その白樺派の青年の一人である宮本憲吉青年などと友人になります。
日本での芸術・美術を求めているうちに、バーナド・リーチさんと宮本憲吉さんは陶芸の魅力にひかれていきます。日本各地で発達している陶器の雑器のよさを感じていきます。
日本に何の基盤・伝手もないバーナド・リーチさんは、沖亀之介青年と苦労して、陶芸窯を設け、陶芸家として出発します。
何かを求めて、ひたすら努力する青年達の話です。当時、外国人がほとんどいなかった日本社会に英国人バーナド・リーチさんは明るく、楽しく立ち向かって行きます。
実は、この小説の本当の主人公は沖亀之介さんなのですが、長くなったので、今回はここまです。資産もなく、学校で組織的に学んだことがない沖亀之介は陶芸家になるために楽しく苦労していきます。
無名のバーナド・リーチさんは、富本憲吉さん、濱田庄司さん、河井寛次郎さんらを友人に得て、日本の陶芸の魅力を明らかにしていきます。後の民芸運動です。
当時の素朴な日本社会の実情は、今からは信じられないものです。質素な生活感のある日本社会でした。
この小説は、2016年10月30日に集英社が発行しました。価格は本体が1800円プラス消費税です。ページ数は中身が464ページと少し分厚いです。
この小説「リーチ先生」は、苦労して陶芸家になった沖亀之介という少年・青年の眼を通して、イギリス人陶芸家バーナド・リーチさんが日本で陶芸家として成長していく過程を描いています。
横浜市の小さな大衆食堂で住み込むで働いていた沖亀之介という少年は、常連客の外国人を相手にするために、ある程度の英語を自然と身につけていました。その大衆食堂に青年の高村光太郎が訪れ、沖亀之介に高村家の書生にならないかと誘います。沖亀之介が描いたスケッチを見て、その才能に感心したからです。
高村光太郎は横浜市から米国に向かう船で、米国に絵画を学びに行くところでした。
その沖亀之介という少年対して、高村光太郎は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)で彫刻を教えていた父の高村光雲への紹介状となるメモを渡します(別に、高村光太郎は父の高村光雲に手紙を送っています)。
絵描きになりたいとの思いから、沖亀之介は高村光雲邸を訪ね、書生になんとか採用されます。
その高村光雲邸に英国人青年のバーナド・リーチさんが訪ねてきます。友人の紹介を基に訪ねて来たバーナド・リーチさん(当時英国領だった香港生まれ)は日本で生活するために、当時珍しかったエッチングによる版画を教え始めます。
ある程度、英語が話せる沖亀之介は、東京都内で生活を始めたバーナド・リーチさんの手伝いに転職します。
バーナド・リーチさんはエッチングによる版画を、当時の日本に伝えるために、エッチング教室を開きます。ここに、当時(明治時代から大正時代に移るころ)、日本に西洋文化・美術の新しい波に影響を受けた白樺派の青年達がやってきます。
学習院高等科出身の若い青年達(武者小路実篤さんなど)は「自然」「人間」を尊重する運動の中で、フランスの印象派などの新しい絵画(セザンヌやゴッホなど)を日本に伝えていきます。その白樺派の青年の一人である宮本憲吉青年などと友人になります。
日本での芸術・美術を求めているうちに、バーナド・リーチさんと宮本憲吉さんは陶芸の魅力にひかれていきます。日本各地で発達している陶器の雑器のよさを感じていきます。
日本に何の基盤・伝手もないバーナド・リーチさんは、沖亀之介青年と苦労して、陶芸窯を設け、陶芸家として出発します。
何かを求めて、ひたすら努力する青年達の話です。当時、外国人がほとんどいなかった日本社会に英国人バーナド・リーチさんは明るく、楽しく立ち向かって行きます。
実は、この小説の本当の主人公は沖亀之介さんなのですが、長くなったので、今回はここまです。資産もなく、学校で組織的に学んだことがない沖亀之介は陶芸家になるために楽しく苦労していきます。
無名のバーナド・リーチさんは、富本憲吉さん、濱田庄司さん、河井寛次郎さんらを友人に得て、日本の陶芸の魅力を明らかにしていきます。後の民芸運動です。
当時の素朴な日本社会の実情は、今からは信じられないものです。質素な生活感のある日本社会でした。
日本の工芸品の良さを観賞できる美術館ですね。
おはようございます。
お恥ずかしい話ですが、バーナド・リーチさんのお名前だけは聞いたことがあると言う程度で、何をされた方かまったく存じませんでした。
長く本から離れておりました府が、最近本を読み始めました。司馬遼太郎さんの城塞。小川さゆりさんの御嶽山噴火生還者の証言。です。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
東京都目黒区駒場にある日本民芸館には、ここ10年ほどは訪れたことがありません。
この日本民芸館の設立に、バーナド・リーチさんが尽力したことは詳しくは知りませんでした。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
この本を読むまで、バーナド・リーチさんの具体的な日本での実績はよく知りませんでした。
野鳥のことも、20年ほど前に、日本野鳥の会の会員の知人から教えていただくまでは、まったく区別ができませんでした。
何でも学んでみないと分からないものですね・・
いろいろな作家の人生をよく調べていますね。
この小説のことは気がつきませんでした・・
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
原田マハさんは絵描きや小説家などの芸術家の人生のエピソードを丹念に調査し、ある仕掛けを考案して、面白い小説に仕立てていますね。
丹念で緻密な調査に才能を感じますね。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
明治時代末から大正時代初めの東京にもまだ外国人が少なかった時代に、日本に定着しようとしたバーナド・リーチさんの強い意志を巧みに描いています。
また、貧しい沖亀之介さんが陶芸家として成長する話も、その努力談には驚くエピソードが多いです。産業化が進み始めた日本の当時の状況がよく描かれています。