今、養老孟司が立花隆、森岡正博と対談した本2冊を再読中だ。
去年は郷土史のなかでも阿蘇と古代宗教との関係主テーマにして勉強した。
今年は再度生殖医療から現代医学、そして医療倫理、さらには生命倫理を勉強し直そうと書棚にあるたくさんの関連書籍を引っ張り出して読み始めている。
但し、頭休めに小説も同時に読んでいこうと思っている。今は島田雅彦の『彗星の住人』を読んでいる。純文学だが文体がしっかりして重厚だし、ストーリーも面白い
さて、テレビを見ていると正月の特番で、録画放送が主流。人気タレントは正月休みで今はハワイで骨休め中
番組欄を見ると3つの流れがあるのに気付く。
1.スポーツ実況
あまり金がかからない。スターを持ってくる必要がないし、アナウンサーと専門の解説者だけで十分。視聴率は期待できないが地方代表として地元の熱い応援があるので正月には必須。サッカー、ラグビー、駅伝・・・
2.芸人が本来のタレント(芸)を披露する時間。漫才、落語、物まね、奇術・・・
3.タレントが無人島でサバイバル生活に挑戦するスタイル。TOKIOのダッシュ村、よいこの濱口優のサバイバル生活ー
このサバイバル生活は興味深く見るのだが、だんだん底が知れてきた。
TOKIOの無人島サバイバル生活への挑戦?だが、これはあまりに杜撰だと言わざるを得ない
まず、TOKIOが無人島に滞在しているのはほんの限られた時間だけのはず。レール敷設にしても恐らくスタッフがあるいはバイトがこの島に入り黙々と作業して繋いでいるはずだ
日曜日の7時からDASH村を見てきたし楽しみにしていた。特に福島での自然生活。これが震災で福島原発で避難地域指定され放送ができなくなったのは残念だった
似たようなコンセプトで作られている番組に金スマ「ひとり農業」がある。
これらは文明が高度に発達し、脳化の極地である都会に倦んだミヤコビトが根底にある動物的本能として自然性に回帰しようとする(普通人はできないので夢をTVに託すしかないのだ)・・・
遠い昔に野生を失ってしまったミヤコビト、素手では絶対無人島生活なんてできはしない。「・・・」のように見せかけているだけでたくさんのスタッフ、カメラ、放送機材が入っているし、トラブル対応もびっちりと組み込まれている。素潜りをよくやるがあれも専門のダイバーがその周りをびっしり固めているはず。
無人島=「原始生活」に都市生活が持ち込まれている。けっして素っ裸で島に入っている訳ではないのだ。
阿蘇の山中に居を移して田舎暮らしを始めて判ることがある。周りに移り住んだ人にも田舎暮らしを選んだといいながら、都市から遊び来る客を目当てにして洒落たカフェを作ったり、都市生活者には珍しいだろうからと街ビト対象にうろ覚えの郷土?料理を出す商売人も多い。民宿、ペンション皆そうだ。田舎が好きだからここにやってきた・・・といいながら目は都市に以前向いている。
田舎暮らしにも脳化が浸透している。子ども達は昔遊びに明け暮れているかと思うとトンデモナイ、やっぱりスマホにゲームに漫画アニメだ・・・
田圃にいる俺達似非百姓も上から下まで”ユニクロ”で固めている。
畑の土を耕していても食品に使われている銀紙やビニール、薬のビニルの入れ物、畦道にはミヤコビトが遊びに来て投げ捨てたペットボトル、弁当ガラが散見。
これからどうなるのかではなくて、どうするのかじっくり考えていかなければならない