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桜宮高校での体罰を受けて自殺した生徒が出たことで、両親の告訴、橋下市長の体育科入試中止、クラブ部長達による記者会見・・・この問題は愛知県にも飛び火。
そして今度は予想だにしなかった体罰・パワハラ問題が生起した。
オリンピック女子柔道監督に対し、日本を代表するような選手達15名による告発となった。
こうなるときっと全国で「被害者」からの告発が続いていくだろう。
どうも違和感がある。今回の柔道選手達は皆大人だ。どうして勇気を持って監督と話し合いを行わなかったのか?
こうなると熊本県出身の金メダリスト内柴正人のハレンチ事件から今回告発となって、柔道界は負の側面ばかりが浮彫りになってこれからもっともっと練習して強くなりたいと思って活動している中学高校の生徒たちはまじめに柔道に向き合っていけるのか?
泥を被ってしまったこの競技に夢を砕かれたと感じている若者が出てくるのではー
学校教育においてクラブ活動の過熱、勝利至上主義の蔓延、親の過剰な期待と子どもの心理に入り込む進学就職などの進路の打算・・・高校スポーツ界は教育の一貫であることを忘れプロ化している。
そして東大を頂点とした進学熱が小学生から進学塾へ通わせ、点数=「偏差値」が子供の尊厳を決める社会になっていることも片方には存在している。誰かを蹴落とさなければ思うところには合格できない。
東大何人合格させたかで高校の社会的な評価が決まる社会では、高校間に厳しい序列が作られる。
下の方に位置づけられる学校に通う生徒は高校の制服に誇りがもてない。学校帰りには制服を脱いで着替えて街に出る生徒の話もよく聞く。こういう生徒が自分らしさをどこに求めるかというと、派手な格好をしたり、街の「ワル」と付き合ったり、暴走行為をしたり負の自己主張をしようとする。
こういう生徒が多い学校は世間が評す。「あそこは荒れている」と。街中でははっきりとそういう生徒に対する差別がある。
だから学校の生徒指導は実に困難になっていく。教室で暴れて、器物破損する生徒、教師に暴力を振るう生徒もいる。こういう時に、あくまで言葉で優しく指導すべきだと主張する民主的な教員集団がいる。
言葉では「荒れ」は直らない。生徒に丸ごとぶつかって行く勇気を教師が持ち、自分の人生を賭けるくらいの情熱で接していかないと生徒は変わらない。
現在、体罰への摘発が続いている。さらに全国へ拡がっていくだろう。スポーツの問題から生徒指導へと論点が移行して行くことも考えられる。その時、いつか来た道「荒れた学校」再び出て来ないか心配だ。自分の人生を賭けて生徒の更生に立ち向かって行く教師がいなければー何もしなければ問題は起きないのだ。クラブだってあえて希望しなければ給料をもらえるのだから「三無主義(無気力・無関心・無責任)に徹する教師が増えてくるのではないかーこれが心配だ
桜宮高校での体罰を受けて自殺した生徒が出たことで、両親の告訴、橋下市長の体育科入試中止、クラブ部長達による記者会見・・・この問題は愛知県にも飛び火。
そして今度は予想だにしなかった体罰・パワハラ問題が生起した。
オリンピック女子柔道監督に対し、日本を代表するような選手達15名による告発となった。
こうなるときっと全国で「被害者」からの告発が続いていくだろう。
どうも違和感がある。今回の柔道選手達は皆大人だ。どうして勇気を持って監督と話し合いを行わなかったのか?
こうなると熊本県出身の金メダリスト内柴正人のハレンチ事件から今回告発となって、柔道界は負の側面ばかりが浮彫りになってこれからもっともっと練習して強くなりたいと思って活動している中学高校の生徒たちはまじめに柔道に向き合っていけるのか?
泥を被ってしまったこの競技に夢を砕かれたと感じている若者が出てくるのではー
学校教育においてクラブ活動の過熱、勝利至上主義の蔓延、親の過剰な期待と子どもの心理に入り込む進学就職などの進路の打算・・・高校スポーツ界は教育の一貫であることを忘れプロ化している。
そして東大を頂点とした進学熱が小学生から進学塾へ通わせ、点数=「偏差値」が子供の尊厳を決める社会になっていることも片方には存在している。誰かを蹴落とさなければ思うところには合格できない。
東大何人合格させたかで高校の社会的な評価が決まる社会では、高校間に厳しい序列が作られる。
下の方に位置づけられる学校に通う生徒は高校の制服に誇りがもてない。学校帰りには制服を脱いで着替えて街に出る生徒の話もよく聞く。こういう生徒が自分らしさをどこに求めるかというと、派手な格好をしたり、街の「ワル」と付き合ったり、暴走行為をしたり負の自己主張をしようとする。
こういう生徒が多い学校は世間が評す。「あそこは荒れている」と。街中でははっきりとそういう生徒に対する差別がある。
だから学校の生徒指導は実に困難になっていく。教室で暴れて、器物破損する生徒、教師に暴力を振るう生徒もいる。こういう時に、あくまで言葉で優しく指導すべきだと主張する民主的な教員集団がいる。
言葉では「荒れ」は直らない。生徒に丸ごとぶつかって行く勇気を教師が持ち、自分の人生を賭けるくらいの情熱で接していかないと生徒は変わらない。
現在、体罰への摘発が続いている。さらに全国へ拡がっていくだろう。スポーツの問題から生徒指導へと論点が移行して行くことも考えられる。その時、いつか来た道「荒れた学校」再び出て来ないか心配だ。自分の人生を賭けて生徒の更生に立ち向かって行く教師がいなければー何もしなければ問題は起きないのだ。クラブだってあえて希望しなければ給料をもらえるのだから「三無主義(無気力・無関心・無責任)に徹する教師が増えてくるのではないかーこれが心配だ