昨夕、ウォーキング月例会(3地区クラブの合同)を南外輪山中腹アスペクタ周辺で行った。月一最終日曜日に開いていているこの会、昨日は流石に寒かったし、雪がチラついていたので参加者は10名足らずと少なかった。
私もまだ腰の痛みがあって、どうしようかと迷ったけど、少しずつ体を動かしていかないとかえって回復が遅くなりそうだと考えて出席。1時間、のぼりを歩く際には腰に負担がかかったので、杖になる竹を見つけてカバー。なんとか完歩。
それから雪が止みそうになかったので積もるだろうと予感があった。今朝はカーテンを開けると一面雪景色
寒い一日になりそうだ
最近ニュースでよくやっているけど、早期退職の問題。桜宮体罰・生徒自殺事件から教育問題に照明が当てられているのでこの観点から待ってましたとばかりマスコミが教育現場たたきをしているように思う。
あと2ヶ月待って生徒を進級させたり卒業させたり、一定のけじめをつけてから退職にすればー当然150万円?の退職金のリスクはあるだろうけど教育=聖職者にとっては利より義を重んずべきという倫理観をマスコミは煽っているように感じる。
市民の感情はもちろん生徒の親の立場になって考えるだろうからそれに乗る。
じゃあ教職も人間にとっての生活を支える労働として考えてみたらどうだ?聖職といったって食えなければ仕事はできない。
「武士は食わねど高楊枝」って古ーい言葉を使って意見を言ってたけど、自分を別の世界に置いて高見の見物の姿勢では?
まず目の前に迫った退職という人生の大きな節目に傷をつけたくはない・・・これは人情。預かっている生徒がいるのだからまずは生徒のことを教師だったらだれだって考える。
しかし、60になって退職していくこれからの生活、私みたいに無収入生活(今は基礎年金だけだが65からの満額年金生活)を考えたら経済的に不安が大きいはず。そして突然目の前に通常退職なら150万円減額になるということを突きつけられたら考えるのは当たり前ではないかー
さらに辞めてからの臨時雇用をしないという。(埼玉、佐賀はたしかこれをやるといっていた!)
埼玉の上田知事は早期退職を決断した100名の教師を非難しているけど、「あなたには責任ないの?」といいたい。
もちろんこういう不測の事態を予見できなかった政府の政策の間違いにイチバンの責任がある
早期に退職するならば2ヶ月の月給がなくなるのだから実質的目減りは5,60万になる。
私だったらそのリスクは止む得ないだろうと諦める。嫌な思いを残して永く勤めてきた仕事に終止符を打ちたくないもの。
最近労働組合が弱くなってしまって、これこそ労働問題なのに労組が正面切って闘わなくなった。
しかしもっと視点を高くして社会を見ると、退職金をもらえる分羨ましい(辞めても何の保障もない)と思っている多くの国民がいることも知っておかなければならない。