とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

青木栄一著『文部科学省』を読みました。

2021-05-09 18:32:14 | 読書
 東北大学の青木栄一准教授が著した『文部科学省』を読みました。文部科学省を客観的に分析し、近年の様々な文部行政のトピックについてわかりやすく解説しています。特に教育改革の失敗についての記述はわかりやすく分析されており、今後の指針となるものであろうと思われます。

 日本の教育行政は明らかに失敗続きです。こんなに失敗するくらいならば文部科学省なんかなければいいのにと思うくらいです。

 近年の教育改革の失敗も文部科学省のどこがわるかったのかが分析され、解説されています。文部科学省の職員にも同情すべき点はあります。予算は削減され、職員の数も増えない中、上からの圧力が強く、翻弄されてしまっているのは明らかです。しかし、そういうときこそ、教育行政の責任官庁としてしっかりと働いてもらわなければならないのです。

 ただし、そもそもの問題として日本は教育予算が少なすぎです。文部科学省という組織の問題よりも、根本的な教育というものへの日本人の意識を変えていくほうが重要な問題なのではないでしょうか。

 江戸時代より日本は教育がさかんな国でした。民間が教育を引っ張ってきたわけです。その伝統にあぐらをかいて、文部行政がおろそかになったというのが、私の見立てです。だからこれまでは伝統的な教育土台があり、文部科学省が何をしても、(何もしなくても)うまくいっていた、と見るべきではないでしょうか。

 しかし、これからの時代もそれでうまくいくのか、本気で考えなければなりません。
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難波博孝著『母語教育という思想』を読みました。

2021-04-17 08:04:16 | 読書
 難波博孝氏の『母語教育という思想』を読みました。国語教育へのたくさんの示唆を与えてくれる本です。

 筆者は批判的な視点から、現状の国語教育の科学的な分析をしています。その分析結果をもとに新たな国語教育への提言を行っています。賛同するところが多くありますし、気付かされることも多くあります。有益な書です。

 国語教育は伝統の上にあぐらをかいています。「国語嫌い」の生徒は多くいます。それは「国語」によって何を学んでいるのかがわからないからです。国語のテストも何を問われているのかがわからないのです。

 先日、生徒と雑談している時、生徒が次のように言いました。

「入試で出てくる問題文は初めて見る文章だ。それなのに授業で教科書の文章を詳しく解説されても何の意味があるのかわからない。」

 わたしも高校生のころ同じように思っていました。私が高校生の時から40年もたっているのに、国語教育は何の改善もなされていないのです。本来ならば時代に合った国語教育に変化しなければならないはずなのに、何の変化もない。これが日本の母語教育の現実なのです。

 国語教師の劣化もはげしい。これでは母語としての日本語は滅びる。今のうちに国語教育の改革が必要なです。そのためにすぐにでも動きははじめなければいけません。

 『母語教育という思想』では有益な提言がなされています。それをもとに新たな「国語教育」を今すぐにでも始める必要があります。
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夏目漱石作『二百十日』を読みました。

2021-03-22 17:55:15 | 読書

 夏目漱石の『二百十日』を読みました。江戸時代の戯作のような作品で、ほとんどが会話でできています。正直言ってどう評価すべきなのかがわかりません。

 阿蘇山に登る、2人の青年、圭さんと碌さんの2人の会話体で終始する小説です。ビールや半熟卵を知らない宿の女とのやり取りや、阿蘇山に上る道中が、まるで戯曲のようにほとんど会話だけで進んでいきます。2人は阿蘇の各地を巡ったあと、いよいよ阿蘇山に登ろうとするが、二百十日の嵐に出くわし道に迷い、目的を果たせぬまま宿場に舞い戻ってしまいます。翌朝2人は、いつか華族や金持ちを打ち倒すことと、阿蘇山への再挑戦を誓います。

 夏目漱石の作品の中では異色のものであり、決しておもしろいとは言えない作品ですが、初期の漱石がさまざまな実験をしているがわかります。こういう実験をしながら漱石は自分の文体を作り上げたのだろうと思います。そして漱石の文体はその後の日本の小説の文体になっていきます。その意味で日本文学史上において貴重な作品と言えます。

 江戸時代の戯作の最後がいつのまにか、近代小説になっているという発明です。

 成功しているのか、失敗しているのかと問われれば失敗ということになるかもしれませんが、戯作から小説への過程という見方もできるかもしれません。

 今のところどう評価していいのかわかりませんが、とにかく書いておかないと忘れてしまうので、書き残しておきます。
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斎藤幸平著『人新生の「資本論」』を読みました。

2021-03-02 18:23:17 | 読書
 斎藤幸平氏の『人新生の「資本論」』を読みました。資本主義のゆがみが見え始めている現代において、これから人間はどうあるべきかを考えるためのヒントを与えてくれる本です。大変勉強になり、また刺激にもなりました。

 「人新生」というのは、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けた言葉で、人類の経済活動が地球に与えた影響により、地質学的に地球が変化した年代のことをいいます。現代は地球温暖化などのように、近代における人類の活動によって地球上の生物におおきな影響を与えています。その結果、生物の生存にさえ危機をもたらしています。「人新生」とはそういう年代のことです。

 「人新生」を生み出したのは、近代における「資本主義」です。資本主義は一度始まるととどまることがありません。全世界に広がり、地球の資源を使い果たし、地球の環境を破壊していきます。この資本主義の行きつく先を予言していたのがマルクスでした。

 マルクス主義はソ連や中国のような共産主義国家の失敗によって一時は否定されるべきものとなっていました。しかし資本主義の行き詰まりはここに来てあきらかになってきたのであり、ソ連のような「共産主義革命」はあまりに早かったのだと思われます。

 マルクス自身の勘違いもあったのだとは思います。だからマルクスも自信で共産主義革命を企てていました。しかしマルクスの予言した危機は100年遅く訪れたわけです。マルクスの修正した考え方も現存する資料の中に見えてくると筆者は指摘します。そしてマルクスの考え方を現代に生かすべきだと筆者は主張します。

 しかしこれが現実的な解決になるのかも今のところ判断できません。しかし、多くの人がこの危機感を共有しない限り解決の道は開かれません。その意味で必読の本です。
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井上ひさし作『父と暮らせば』を読みました。

2020-08-19 17:26:02 | 読書
 井上ひさしさんの二人芝居『父と暮らせば』の脚本が新潮文庫に入っています。それを読みました。原子爆弾の恐ろしさを実感できる内容でありながら、そこから再生する姿が描かれています。しかしその再生は忘れることではない。しっかりと原子爆弾のことを伝えていかなければいけないのだという強いメッセージがそこにはあります。感動します。その感動は我々に行動をよびかけています。すばらしい作品です。

 主人公の美津江は、原爆が爆発した時、偶然石燈籠の陰に隠れたために命を救われた。しかし家族はみな死んでしまっている。美津江は家族や友人、みんな死んでしまっている中で自分が生きていることに負い目を感じながら生きている。そこに父親の幽霊が登場する。最初は父親が幽霊であることが観客に隠されている。だから普通の親子の会話のように聞こえる。しかし、次第に父親が幽霊であることがわかってくる。なぜ父親は美津江のところにやってくるのか。

 最後にその謎が解ける時、この芝居が一気に広がります。同時に心にずしんと重いものが落ちてきます。そして大切なものが見えてきます。

 名作です。比較的短い芝居でもあるので、こういう芝居は多くの人に見てもらいたいと思います。


 
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