村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。気になったことをメモ的に書き残す。その3回目。38「あれではとてもイルカにはなれない」から
イデアである騎士団長が「私」に対して言う。
「イデアは他者による認識なしには存在しえないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在するものであるのだ。」
それに対して「私」が騎士団長に言う。
「じゃあもしぼくが『騎士団長は存在しない』と思ってしまえば、あなたは存在しないわけだ。」
騎士団長が答える。
「理論的には。しかし現実的ではない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。」
そして、次に騎士団長が言う。
「イルカにはそれができる。」
人間は「私」という存在にしばられ、「私」の観念に行動が制御されて苦しめられていく。しかしこういう存在は人間という生き物の特性なのだ。人間が人間であることはこういうことなのかと考えさせる理論である。
イデアである騎士団長が「私」に対して言う。
「イデアは他者による認識なしには存在しえないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在するものであるのだ。」
それに対して「私」が騎士団長に言う。
「じゃあもしぼくが『騎士団長は存在しない』と思ってしまえば、あなたは存在しないわけだ。」
騎士団長が答える。
「理論的には。しかし現実的ではない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。」
そして、次に騎士団長が言う。
「イルカにはそれができる。」
人間は「私」という存在にしばられ、「私」の観念に行動が制御されて苦しめられていく。しかしこういう存在は人間という生き物の特性なのだ。人間が人間であることはこういうことなのかと考えさせる理論である。