村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。気になったことをメモ的に書き残す。その7回目。
前回
「優れた小説はリアリティがあり、その「質感」が読者を引き込む。しかし村上春樹の小説はそこが弱いような気がする。」
と書いた。
しかしこの後、秋川まりえという少女が冒険をしていることが明かされる。秋川まりえというのは、他の人間には心を閉ざしている。「私」は幼い時に妹を亡くし、その少女と重なるところもあった。ふたりは絵画教室で出会い、秋川まりえは唯一「私」とは心を交わし始めた。秋川まりえはちょうど「私」が物語的なメタファーの冒険をしている同じ時間帯に、リアルな冒険をしている。ふたりの冒険は明らかに関連づけられている。「私」と秋川まりえは、ふたりで困難を乗り越えていたのだ。
作者は物語の力を信じている。物語は決して「閉じた環」ではない。現実の世界とつながっている、そう作者は考えているのだ。
前回
「優れた小説はリアリティがあり、その「質感」が読者を引き込む。しかし村上春樹の小説はそこが弱いような気がする。」
と書いた。
しかしこの後、秋川まりえという少女が冒険をしていることが明かされる。秋川まりえというのは、他の人間には心を閉ざしている。「私」は幼い時に妹を亡くし、その少女と重なるところもあった。ふたりは絵画教室で出会い、秋川まりえは唯一「私」とは心を交わし始めた。秋川まりえはちょうど「私」が物語的なメタファーの冒険をしている同じ時間帯に、リアルな冒険をしている。ふたりの冒険は明らかに関連づけられている。「私」と秋川まりえは、ふたりで困難を乗り越えていたのだ。
作者は物語の力を信じている。物語は決して「閉じた環」ではない。現実の世界とつながっている、そう作者は考えているのだ。