とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

立石寺の蝉論争

2017-08-16 18:52:28 | 国語
 朝日新聞の天声人語を読んでいたら懐かしい話が出ていた。昔、学生時代に教わった『奥の細道』の中の立石寺の蝉についての論争である。少し引用させてもらう。

 元禄の昔、芭蕉は出羽の旅で〈閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声〉と吟じた。では実際に耳にしたのは何ゼミか。威勢よく「ジリジリ」と鳴くアブラゼミだと主張したのは歌人斎藤茂吉。独文学者小宮豊隆は「チーー」と細い声のニイニイゼミ説を唱えた▼芭蕉に遅れること二百数十年、茂吉は同じ季節に同じ寺を訪ねた。別の折には現地で捕れたセミの標本も調べた。粘りに粘るが、最後は「私の結論には道程に落ち度があった」と降参した▼「時期や標高からするとアブラゼミ説よりニイニイゼミ説に理があります」と昆虫学者の林正美・埼玉大名誉教授。ましてヒグラシの「カナカナカナ」やエゾハルゼミの「ミョーキン、ケケケ」では岩にしみ入る感じがしないと話す。

 この論争に対して、「蝉」は「蝉」なのだからそれ以上の詮索をしないというのが詩歌の正しい解釈だというのが、現在の大勢である。詩的表現というのは曖昧性があるからこそ、解釈の広がりがある。だからそれを限定してはいけないという考え方である。

 もちろん、それは正しい。

 ただし、わたしがほぼ同時期に立石寺に行ったときに鳴いていたのがヒグラシだった。そしてそのヒグラシの鳴き声は「岩にしみ入る」という表現にピッタリだったのである。これを経験した私は、どうしてもヒグラシ説をとりたくなる。林教授の「岩にしみ入る感じがしない」という意見は納得しがたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする