とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

劇評『PHOTOGRAPH51』(4月21日昼マチネ東京芸術劇場シアターウェスト)

2018-04-25 08:12:09 | 演劇
作:アンナ・ジーグラー
演出:サラナ・ラバイン
出演:板谷由夏、神尾佑、矢崎広、宮崎秋人、橋本淳、中村亀鶴

 DNAの二重らせん構造の発見において、キングス・カレッジ・ロンドンで働いていたX線結晶構造解析者のロザリンド・フランクリンが重要な役割を果たしている。この作品は、そのフランクリンを描いている。戯曲がとても「美しい」。「2重らせん」のイメージがみごとにドラマとオーバーラップしている。

 「らせん構造」は終わらない形だ。我々が生きている時間というのは直線のようにイメージされがちだが、古来の時間のイメージは「らせん」である。1年は円のように循環し、また同じ季節にもどる。しかし、去年とは違う今年の季節がそこにはある。人間の一生も生まれてから死ぬまでが一つの循環である。しかし単なる循環ではない。死んだ後にその人の業績が残り、生まれる前とは違う世界がそこにはある。始まりと終わりは近い位置にはあるが、少しずれている。いずれも「らせん」のイメージと重なる。

 フランクリンは言う。
「仕事は終わらない。しかし、体は終わる。」
それが彼女の追い求めていた「らせん」だったのだ。このイメージはとても美しい。

 さらに、この「らせん構造」は二重なのだ。フランクリンは1人であることを好んでいた。しかしフランクリンは最後は1人ではない。仕事上のパートナーを認め、ライバルを認め、他者がいてからこその自分を認める。そのことに気づいたときフランクリンの人生は終わっていく。自らが追い求めていた「二重らせん構造」が他者の存在を気づかさせるのだ。科学的真理を追究していく中で、DNA構造のような美しい構造を人生の中に発券していくドラマとなっている。
 
 また、主人公は言う。
「下手な女優の名前が思い出せない。」
名前をこの世に残したい。そのためには努力するしかない。そんな努力した生き方こそが彼女の生き方であった。

 ロザリンド・フランクリンという人は一般的には成功した人ではないのかもしれない。しかし、この戯曲の中では美しく輝いている。そんな芝居だった。

 板谷由夏さんは、凛とした女性をうまく演じていた。初舞台だというが頑張っていた。ただし、「父」のイントネーションが気になった。このイントネーションでいいのだろうか。

 他の男優さんは役をしっかりとこなしていた。しかし微妙な心の変化まで演じ切っていたのかというとそこまでは感じることはできなかった。ウィルキンズの最後のフランクリンに対する態度の変化は唐突に感じた。
コメント
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