PISA(経済協力開発機構が3年おきに実施する国際学習到達度調査)における日本の「読解力」の順位が急落した。この結果について、あるものは新井紀子氏のいうように日本人の「読解力」の低下に求めるし、ある者は試験のやり方に求めるし、ある者は試験自体の問題について言う。何がこの試験結果の本質なのかわからないのに、何とかしなければと騒ぎ出す。これが日本の教育界である。
まずは冷静な分析が必要なのに、実はこの結果がどういうことを意味しているのかをどこで誰がどのような形で分析しているのかがわからない。おそらく誰かが分析をしているのだろうが、それがわかりやすく公開されていない。
「日本人の読解力が落ちている」というあいまいな前提をもとに、「読解力をあげなければならない」という当たり前すぎる結論が生まれ、何をすべきかわからないのに、何かしなければならないと間に合わせの教育改革の指針が示される。このような「あいまいな前提」を誰も検証することがゆるされていないのに進んでいくのだ。その結果が新テストによる記述式の導入であり、「論理国語」の導入という愚かな政策なのだ。
この愚かな改革がなぜ生まれたのか。それこそ日本の教育行政、ならびに改革を推進する教育学者の方々に「国語力」がないからである。根拠に基づき意見を表明し、冷静な議論を行うことができないから混乱が起きる。
「国語力」のない人に「国語」改革なんかできるはずがない。