「羅生門」の授業で演劇を取り入れた授業をしています。下人と老婆を演じてもらう授業です。いくつかの目的がありますが、その一つは「同化」と「異化」を学ぶことです。生徒には次のように説明しています。
演劇には「同化」と「異化」という言葉があります。これは文学でも重要な概念です。
【「同化」】
私たちは小説を読んでいると、ある特定の人物に肩入れしていきます。ほとんどの場合それは主人公です。いつの間にか主人公の気持ちになっていきます。だから主人公に危険が迫るとビクビクと恐怖を感じ、主人公に緊張すると自分も手に汗をかきます、主人公に幸せが訪れれば自分も幸せになったように思います。これが「同化」です。
ドラマを見ていても、映画を見ていても私たちはいつも「同化」しています。逆に「同化」できないような作品はあまりおもしろいと思えません。「同化」できるからおもしろいのです。
今回「羅生門」の劇をやってみました。この時、「下人」の役をやった人は「下人」に同化できたと思います。それによって「下人」の心理をより深く理解できたのではないでしょうか。
【「異化」】
しかし一方「老婆」の役をやった人はどうだったでしょうか。ほとんどの人は「老婆」の立場で「羅生門」を読んでいなかったと思います。ですから「老婆」の気持ちを理解するのは難しかったのではないでしょうか。しかし、老婆の気持ちが理解できるようになった時、この「羅生門」という小説に新たな意味を発見してのではないでしょうか。下人と「同化」していたときよりもより「下人」のことが理解できるようになったのではないでしょうか。
これが「異化」作用です。つまり「異化」とは「同化」するはずの「下人」を「同化」しないで、客観視することです。
【「同化」と「異化」の循環運動】
私たちは「下人」と「同化」することによって小説を深く読むことになります。しかし「同化」だけしていると逆に「下人」の真の姿が見えなくなります。時には「異化」することによってより深く知ることになります。このように「同化」と「異化」を繰り返しながら、より深く読むことにつながります、深く読むために「同化」と「異化」の循環運動をすることが大切です。
【「異化」と「メタ認知」】
最近、「メタ認知」という言葉を耳にするようになりました。「メタ認知」とは自分を客観視することです。つまり「異化」と同じです。自分を客観視することによって逆に自分のことがよくわかるようになります。困難にぶち当たった時、一歩引いて自分を客観視してみると意外なところに解決方法が見えるときがあります。それが「メタ認知」です。