菅政権の論理性のなさは驚くばかりである。特にオリンピック開催、そして入場者数について、感染対策についての説明はまったく論理性に欠いている。とにかく観客を入れてオリンピックを開きたいというだけである。最近は昔よく言っていた「アスリートファースト」という言葉さえ聞かれなくなった。ただ単に「開きたい」から「開く」という論理なのだ。
おそらくその背後には大きな利権がからんでいて、それを言うわけにはいかないのであろう。そこまで一般の国民に感づかれながらも、暴走を誰もとめられない。もはやこの国では「論理」という言葉は力を失っている。
来年度から高校でも新教育課程に移行する。国語では「論理国語」という科目もでき、論理性を重視するようになる。確かに今の政権の有様を見ると論理性を重視することは大切である。しかし、日本の一番の権力がこんなに論理性を無視してもいいのならばだれも論理なんか馬鹿らしくて学ぶ気になりはしない。ごり押しすればいいのだ。
だれもが論理よりも権力を欲しがる。
民主主義という論理が通用しなくなった国においては、どんなことでも起こりうる。そしてそれは崩壊に突き進む危険性を常にはらんでいる。負けるわけにはいかない。