来年度から高校も教育課程が新しくなる。国語は大きな改訂が行われた。ほとんどの現場の教師は今回の改訂は改悪だと考えている。古典か小説がまともに教えられなるからだ。事情は過去に書いているので、それを再度ここに掲載する。
高校は来年度の1年生から新学習過程に移行する。高校の1年生では多くの学校は「現代の国語」と「言語文化」の二つの科目を学ぶことになる。「現代の国語」は主に評論文を、そして「言語文化」は主に小説と古典を学ぶことになる。これまでは「国語総合」という科目の中で現代文と古典を学んできた。多くの学校では現代文を2時間、古典を2時間学んでいた。単位を5単位に増やしている学校では古典を3時間学んでいた。それだけ古典を重視していたのである。しかし今後はそうはいかない。
「言語文化」で古典と小説を学ぶために、古典と小説の時間が少なくなる。進学をあまり考えない高校ならば、古典の時間を減らし小説を読むことができる。しかしいわゆる進学校ではそうは行かない。共通テストではこれまでのように古典が国語の半分をしめるのだから、点数をかせぐためには古典重視にならざるを得ない。だから小説軽視になってしまう。古典を重視するか、小説を重視するかによって大きく対応が違ってくることが予想された。
そんな中、第一学習社だけがまったく違う方向性の教科書を作ってきた。「現代の国語」に評論と小説を入れ、言語文化は古典と韻文を入れてきたのだ。この結果、従来の指導方法に近いものが可能になっているのである。
さて、ここに来て第一学習社の教科書を採用した学校に次のような指導が文部科学省から来た。「現代の国語」の時間では小説を扱うな、「言語文化」で小説を扱う場合。現代の国語」を副読本として申請しなさいと言うのだ。こういう指導が来るというのは、検定が失敗だったということを認めたと言うことだ。だったらまずは国民に謝りなさい。偉そうに学校に指導するな。
文部科学省は日本の教育をおかしくしているだけだ。文部科学省は学校教育から手を引きなさい。
くたばれ文部科学省。