冬季オリンピックのフィギュアスケートでロシアのカミラ・ワリエワがドーピング問題がありながらも、15歳であるという理由で出場を認められた。しかしその渦中でワリエア選手は自分を見失い、本来のスケートができずにメダルが取れなかった。この問題は様々な要素が絡んでいるが、結局は自分のことしか考えられない大人たちの無能な権力騒動が悲劇を呼んだのだ。フィギュアスケートは自分のことしか考えられない「大人の事情」でゆがめられたのだ。
まずはそもそもフィギュアスケートのジャンプ至上主義がおかしい。体重が増加することはジャンプが難しくなる。だからまだ子供の体形である若い選手を育てることになる。近年の女子のフィギュアスケート選手は低年齢化が進み、ロシアの15歳が金メダルを取る。、それをすぎるとすぐに選手生命が終わってしまっている。こんなものをスポーツと言えるのか。以前からその問題は多くの人が指摘していたが、改善できていない。なぜ改善できなかったのか。それは大人の自分勝手な思惑のためである。
さらにワリエア選手がドーピングでひっかかり、通常ならば出場停止になるはずなのにならなかった。「子供なんだから許してよ。」という理屈なのだ。このような無理な理屈がなぜ通るのか。これも大人の自分勝手な思惑のためである。
ワリエア選手は大人の自分勝手な思惑の犠牲者となって、見せしめのように試合に出された。自分勝手な大人たちはワリエア選手の苦しさを理解できない。なぜなら自分勝手な思惑こそがその人の行動原理だからだ。ワリエア選手はその人の道具でしかないのである。
こういう大人の自分勝手な思惑はスポーツに限らずいたるところにある。日本の中にも同じような事態をみることができる。大人は本当の大人にならなければならない。