新型コロナウイルスの影響で、在宅のままでインターネットやICTを利用しての学習が一気に広まるようなことを言う人がいる。バカじゃないの? そんなに簡単にいくはずがない。
学校という場所はそこにある種の強制力があるからこそ勉強するのである。強制力のない場所で勉強しなさいと言われて勉強できる生徒は数えるほどしかいない。
例えば、私が学生のころNHKの英語講座がいいから聞きなさいと言われた。なるほどと思い聞いてみた。なんとか1~2週間は継続した。しかし結局は続かなかった。
今、放送大学を受講している。45分の授業の間、集中力が続くことはない。結局テキストを何度も読み直し試験に臨んでいる。
人間は自分が本当にやりたいこと以外は、なんらかの圧力がなければ続けることができないのである。おそらく誰もがそれを感じているはずだ。
それなのに新型コロナウイルスというピンチをチャンスに変えようと、インターネット利用による在宅授業を声高に主張し始めている人がいる。無理に決まっている。この人たちは教育産業の回し者でしかない。
インターネットによる教育の可能性を模索し、それをいい方向に向かわせることはいいことである。しかし学校に変わるものになるはずはない。学校の学習を補うもの、学校の学習の枠を超えるものに利用するものでしかありえない。
もし無理矢理在宅授業を行うとすれば、子供たちひとりひとりを監視し管理するしかない。そんなことを望んでいるのか。
学校の強制力が行き過ぎて大きな問題があるのも事実である。しかし、それとこれとは問題が違う。しっかりと問題を整理してよりよい方向に進むように議論が深まることを期待する。
私は教壇に立ったことなないですけどそう思いますね。
最近の政治家は軽すぎます!
熟慮して言葉を発したら、とつとつと言葉少なめに頭を下げるようなことを、透明なパネルに文字を映し出すプロンプターや手元の原稿を朗読する姿を見ていたら腹が立つだけですね。
在宅授業案を書いたのが高級官僚が書いたのなら、それもレベルが低すぎます。
庶民のことを理解していない、現場の声も聴いていない政治家は即刻しりぞいて欲しいものです。
私も大切なことに気づきました。
有難うございます。
生の声、体温、汗、熱・・・その他が相まった「信頼」がベースになっているのです。
特に初等教育では、教材は人間形成の手段でしかありません。
知識さえ入れていけば良いと考えるのは、知識しか入れてこなかった人たちの発想だと思います。
ICTを否定するつもりはありません。
授業とは取って代われないと云うだけです。