とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

TPPと著作権

2016-02-14 06:24:46 | 政治
 甘利大臣が金銭授受問題で辞任しました。このようなスキャンダルにも関わらず内閣支持率は落ちませんでした。この原因は甘利前大臣がTPP交渉でがんばっていたと、多くの国民が思っているからだと思います。本来は批判すべきマスコミも、「甘利大臣はひとりで厳しい交渉をおこなっていた。」とその姿を肯定的にとらえています。日本人は周りに流されやすいと思われながら、見るべきところはしっかりと見ています。金銭授受はいけませんが、頑張っている人を悪く言うことはしたくないのです。

 ただし、TPPが本当にいいことなのかはもっとしっかりと検証すべきです。

 私が一番変に感じるのは著作権の問題です。著作権は守られたほうがいい。誰かが作ったものを真似をしてもいいとなってしまえば、才能ある人が創作活動を続けられなくなります。これでは文化の衰退につながります。だから著作権は合理的な権利です。しかし、作者が死んでから70年も著作権が守られるというのはあまりにも長すぎる。これでは著作権の本来の意味がなくなってしまうような気がします。

 著作権が70年も守られる理由は明らかにアメリカが得をするからです。ディズニーやハリウッド映画などのアメリカの文化の利権を守りたいからです。しかし、こういうふうに長期間の著作権を認めれば新たな文化は生まれにくくなります。

 文化というのはマネから始まります。人まねが完全に否定されてしまえば新たなものは生まれてはきません。著作権侵害で訴えられるのではないかと考えたら、自由な創作活動はできません。一方では音楽ではDJが既存の曲をリミックスしています。このあたりの著作権はどうなっているのか、著作権侵害だと訴えられればどうなるのか、「著作権」というものが真面目な製作者を混乱に陥れているような気がします。

 TPPは著作権の件だけでも大きな問題があります。その他あらゆる分野でおそらく問題が山積みなのではないでしょうか。結局はアメリカの経済戦略に加担しただけになりかねない。また、たとえそれで日本が得をしたからと言っても、人類にとっての徳になるかはわからない。

 検証をもっと時間をかけて行い、しっかりと見ていかないといけません。
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柳家小三治独演会

2016-02-12 16:06:54 | 落語
 柳家小三治さんの独演会に行きました。さすがに名人芸です。といいながら実はその名人芸をすばらしいと思うようになったのはつい最近です。こどものころから落語を聞いていた世代なので、その上手さというのを当たり前のものとしてしまっていたのです。しかしさすがに50年以上も生きていると、小三治師匠のような名人の話芸は普通ではないのだということがわかってきます。当たり前のように聞こえながら、全然当たり前ではない。努力と経験によって日々磨かれてきたものだということをを感じずにいられません。

 さて、今回の演目の一つが「千早振る」でした。落語ファンでなくとも知っている人の多い定番のひとつですが、知らない人もいるでしょうから簡単に筋を紹介しておきます。

 百人一首の和歌の中に在原業平の
   ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなひに水くくるとは
という和歌がある。 その和歌の意味が知りたくて八五郎が先生の所に聞きにくる。先生はわからないので適当に説明する。その説明は次の通りである。

 竜田川というのは相撲取りの名前。
 その龍田川が吉原の花魁、「千早」に恋をする。しかし「千早」は竜田川を振ってしまう。そこで今度は竜田川は「千早」の妹の「神代」に恋をする。しかし神代もやはり竜田川になびかない。ここまでが「千早振る 神代も聞かず竜田川」である。
 さてその後なぜか龍田川は豆腐屋になる。なぜかというと龍田川の実家が豆腐屋だったからである。そこに女乞食がやってくる。この女が落ちぶれた千早だった。「おからを分けてくれ」というが竜田川は分けてやらない。ここが「からくれなひに」。
 その女乞食千早が絶望し、井戸に身を投げる。ここが「水くぐる」
 すると最後の「とは」が残る。その「とは」とは何か。それが千早の本名だったというオチ。

 後からとってつけたような解釈をし、そのバカバカしさがおもしろい落語です。

 さて、話はこのような他愛もないものですが、小三治師匠はマクラで次のような話をしました。

 知らないのに知っているふりをするのはよくない。つまり「知ったかぶり」をするのはよくない。
 知っているのに知らないふりをするのもよくない。最近の「記憶にございません」はよくない。
 そして知らないで知らないふりをするのもいけません。

 この後、スッと本題に入っていたのです。これはすごい。勝手に客は考え始めます。この落語は単純に「知ったかぶり」の話だと思っていたのに、もしかしたら別の解釈ができるのだろうか。八五郎は知っているのに知らないふりをして先生をからかっていたのか、もしかしたら、先生は知らないことを恥ずかしく思ってわざと奇想天外な話にして「知っているのに知らないふり」をしているふりをしているということなのだろうか、などいろいろ考えてしまう。ただの滑稽話が何重にも大きくふくらんでいきます。

 名人になると簡単にすごい技を魅せてくれるものなのだなあ、と妙に感心してしまいました。

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劇評 二兎社「書く女」

2016-02-05 10:32:30 | 演劇
 1月23日(土)夜。世田谷パブリックシアター。
 作・演出 永井愛  主演 黒木華

 文学というものがなんだかわからない混沌とした時代。貧乏であった樋口一葉は生活のために職業作家を目指す。しかし士族としてのプライドを捨てられず、また若く理想の高い一葉は、通俗的な小説を好まない。人間としての尊厳を大切にしつつも、現実の厳しさに翻弄される女性を描くことになる。それは自分自身であり、自分の存在意義としての証明書でもあった。

 一葉は近代文学の文体がまだ定まっていない明治の時代に、江戸文学の文体で近代の人間をえがくことに成功した稀有な作家である。奇跡的な作家といってもいい。その樋口一葉がよく描かれた作品である。

 黒木華は声の通りがよくとても聞きやすい。若さゆえの軽さは感じるが、さわやかで好感が持てる。これからとても楽しみな女優だ。
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覚醒剤

2016-02-04 09:37:43 | 社会
 誉田哲也さんが書いた、『ドルチェ』という本を読みました。その中に次のような記述があります。
 
 覚醒剤を断った人の多くは言う。もうやめた、大丈夫、という状態はあり得ない。ただひたすら、毎日やめ続ける。もうそれしかない。クスリを打たない日を、一日一日積み重ねていく。死ぬまでそうしていくしかないのだと。

 私も以前タバコを吸っていて禁煙にとても苦労しました。今はもう吸いたいという気持ちはなくなりましたが、禁煙して数か月は常に「毎日やめ続ける」という状態でした。だから、誘惑に負けて何度か禁煙に失敗しました。覚醒剤の場合これが一生続くということなのです。大変なことです。

 これは裏返せば、一生涯毎日いやなことをし続けるということと同じことです。学生のみなさんが毎日いやな勉強を続けなければならないのと似たような状況です。勉強をしない日が一日でもあるということは、禁煙に失敗したということと同じなのです。強い意志が必要です。

 清原が覚醒剤で逮捕されました。これまでも疑惑になっていました。しかもそれを本人がテレビではっきりと否定しているのも見たことがあります。ですから今回の逮捕は許しがたい。この男のダメさ加減は言葉にするのももったいないくらいです。本当に情けない。

 ただし、薬物に関しては単なる刑法の処罰ではなんの解決にもなりません。薬物依存からは脱却してもらわなければならない。そのためには彼の周りのみんなが協力していかなければなりません。これまでもこれからも彼は地獄の苦しみを味わうのです。彼の活躍に心躍らされてきたみんなは、今度は彼を助けてあげなければならないのです。
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