とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

財務省のお役人さんは日本のために真実を語りなさい

2018-03-14 17:49:10 | 政治
 財務省の文書改ざん問題は本当に腹が立ち、いまだに怒りが収まらない。

 そもそも文書の改ざんが行われたことが許されることではない。

 なぜ文書改ざんが行われたのか。財務省の言い分は佐川前理財局長の答弁とのつじつま合わせのために佐川氏の指示のもとに行われたということだ。しかしこれは信じられることではない。もしその程度のことだったら、反佐川勢力の人間がもっと積極的に情報をリークするはずである。あきらかにこの文書改ざんは2017年2月17日の安倍首相の「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」という発言を受けてのものである。それ以外に考えられない。行政を私物化している。こんな坊ちゃん総理を許しておくわけにはいかない。

 さらに許せないのは、改ざんが明らかになった後、うそにうそを重ねて改ざん文書を開示するまで時間稼ぎをしているということである。報道で明らかになったように国土交通省から5日に改ざん前の文書に財務省に提示されている。その時点で改ざん前の文書があったことを財務省が認識していた証拠である。ところが8日にもその文書の存在を認めていない。これは財務省が意図的に時間稼ぎをしているとしか思われない。その時間稼ぎはなんのためか。シナリオ作りに決まっている。佐川氏を人身御供に、安倍首相が逃げ切ろう問いするシナリオを作っていたのだ。

 少なくともここまで疑惑が真実味があり、しかも改ざんの証拠まで出てきたのであるから検察はすぐに動かなければならないし、その方向で野党は検察に働きかけなければならない。そして財務省に強制捜査が入るべきである。もはや証拠を破棄しているとは思うが、それでもできるだけ早く証拠を押さえなければならない。

 財務省のお役人も本来は日本のために正義感を持って働こうと夢をもっていた人たちのはずだ。ところがこのありさまだ。組織ぐるみの犯罪行為であり、国家反逆罪である。こんなことで罪を犯してしまって、恥ずかしくないのか。真実を明らかにして、本当に国のために尽くしてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻生大臣はやくざの親分?

2018-03-12 14:22:54 | 政治
 財務省の文書書き換え問題について麻生大臣が会見をおこなった。佐川前財務省理財局長のせいにして、自分は何も悪くないという内容だった。しかし、あきらかに今回は財務省の大失態であり、少なくとも財務省の長としての責任は大きいのはあきらかである。それなのにあの偉そうな態度はなんなのだろう。こんな人が財務大臣であってはならない。

 今、必要なのは事実をあきらかにすることだ。佐川氏は真実を語らなければならない。検察は近畿財務局の問題とは別に、偽造文書の問題として動かなければならない。

 ここまで国民を馬鹿にした内閣があるのか。やくざが国を政治を牛耳っているようにしか思われない。怒りがおさまらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前シリーズ「3.11」

2018-03-11 19:59:34 | 1年前シリーズ
 1年前のブログを振り返る。しかし、1年前を振り返りながら7年前を振り返ることになる。7年前は生と死を見つめ、生きることの意味を真剣に考えていた。しかし、今はそんなことをすっかり忘れている。経済界と、経済界に祭り上げられた安倍政権は人間の真剣に誠実に生きることよりも「経済的な豊かさ」をごり押ししているからであり、それを日本国民も望んでいるからだ。そしてそれはほとんどの日本人が結局はあの地震の当事者ではないからなのだ。

 もう一度振り返る必要がある。

 3.11がまたやってきた。この日は必ずしっかりとあの日を思い出そう。そしてあの日からの大きな混乱も思い出そう。そして忘れていく愚かさを反省しよう。

 原発の恐ろしさをあれほど味わいながら、いまだに原発をやめられないのはなぜだ。何らかのうさん臭さがあるに決まっているのだ。そしてそのうさん臭さを生んでいるのは我々日本人全員の責任だ。

 あの日以来しばらく節電節電と言っていたのにもはや節約なんて馬鹿らしいことのようになっている。まじめに節電している人たちを笑っている人だらけになってしまった。

 あれだけ絆といいながら、簡単に人を馬鹿にするようになってしまった。

 人は忘れる生き物である。なんでも覚えていたらつらくて生きていけない。しかし忘れてはいけないものもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京大学は英語民間試験を合否判定に使わない

2018-03-11 11:14:04 | 教育
 東京大学が2020年から国立大学の受験生に課せられることになっている英語の民間試験の結果について、合否の判定材料としては利用しない方針を明らかにした。公平性に疑念が残るというのがその理由であり、妥当な判断である。しかし一方では国立大学協会は英語について、「マークシート式」と「民間試験」の両方を受験生に課し、入学者の選抜に活用することを決めており、それに反することになるので大きな問題でもある。東京大学は文科省の方針に公然と歯向かったのだ。受験生が混乱するだけという結果になるのだ。

 この問題の背景には受験産業と文科省の癒着があるのではないかと感じられるのである。この改革によって多くの受験産業は莫大な利益を得る。巨大な利権がからんでいたのである。ところがそれを隠して改革は進んでいた。中でもB社の浸透ぶりはあきらかに異常な状態である。

 我が校に来ても自社の商品を国の政策によって取り入れなければならないというようなウソを平気で言う。他校に行っては我が校が何の検討もしていない商品を、我が校が導入するというデマを流す。でたらめすぎる。これ以上何かあったら告発するしかない。

 私は現在の教育は改革すべきだと感じている。しかしあまりに議論なしに進みすぎている。方向性が勝手に決められすぎていると感じている。文科省にはもう一度足元を見つめてもらいたい。現状はあまりに改革を急ぎ過ぎていよいよ混乱しか生まれていないのだ。

 財務省、厚労省だけでなく、安倍政権の自分勝手さがここにも出ているような気がしてならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇評『シャンハイムーン』(2018年3月7日世田谷パブリックシアター)

2018-03-09 11:21:47 | 演劇
【作】井上ひさし
【演出】栗山民也
【出演】野村萬斎 広末涼子 鷲尾真知子 土屋佑壱 山崎一 辻萬長

 いまだに日本は近隣の国々との関係がうまくいっていない。その原因はどこにあるのかは一言では言えないが、少なくとも「国」という概念ではうまくいかなくとも、ひとりひとりの人間同士のつながりならばうまくいくはずである。そのことをわれわれは肌で感じている。この演劇は国同士の関係の難しさと、それを超えて人間同士の関係の美しさを描いてる。

 この演劇は魯迅の晩年を描いている。舞台は昭和9年8月から9月にかけての上海。場所は魯迅の友人であった内山夫妻が営む書店である。魯迅は国民党政府より逮捕令が出され、内山夫妻の書店に隠れる。魯迅は病気がかなり進んでおり、治療のために鎌倉に行くことを勧められる。しかし魯迅は最終的にはそれを断る。上海にいることが自分には必要だと考えたのである。それが魯迅の正義だった。魯迅は妻と4人の日本人に看取られ息を引き取る。

 戦争前夜の混乱した状況の中、「空気」が人々の心を支配する。その「空気」がよどんだものであっても、「空気」は我々を支配する。「よどんだ空気」は真実を見えなくしてしまい、人々を混乱に導いていく。「空気」によって魯迅も様々なものを見失い、それがのちの自分を苦しめる。苦しむ自分から逃げてはいけない。自分とかかわるすべての人を大切にしながら、自分の生き方を選ばなければならない。

「一番嫌いなものは嘘つきと煤煙、一番好きなものは正直者と月夜」

 劇中に出てくる魯迅の言葉である。「よどんだ空気」の中で真実を見つけるのはむずかしい。正直に生きるのはこんなに苦しいのか。魯迅の姿に正直に生きることの厳しさと美しさを感じる。澄んだ空気の中で月を見つめるような美しい舞台であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする