とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

山形新幹線は鈍行列車(山形新幹線シリーズ2)

2019-06-22 08:21:59 | 山形新幹線
 いつも山形新幹線を使っている。山形新幹線のなかった時代を知っているので、というよりも東北新幹線や上越新幹線がなかった時代を知っているので、昔に比べて便利になったことを実感している。山形新幹線は本当にありがたい。しかし、長年乗っていると、さすがに粗が見える。ここにあげていくので、ぜひとも改善をお願いしたい。

 まずは「新幹線」なのに遅すぎるということである。福島から在来線の線路を走る、そのために線路の質も異なり、速く走れないという。まあミニ新幹線の宿命のようなものであり、我慢するしかないのかもしれない。しかし、我慢できないのは本来新幹線ならば絶対に止まらない駅に止まるということである。本当の新幹線だったら山形から福島までせいぜい米沢で止まる程度であろう。ところが上山温泉、赤湯、高畠と鈍行列車のように小さな駅に止まっていく。なんでこんなバカなことがおこるのだろう。これならば山形新幹線という名前を返上すべきだ。

 開通当初に比べても小さな駅に止まりすぎのような気がする。地元の要望など様々な要素があるのだろうが、現状は「木を見て森を見ず」の典型である。山形・東京間をあと20分短縮しなければならない。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻想をみている我々はそれが幻想だと気づいていない

2019-06-19 22:39:20 | 政治
 安倍政権になってから何となく景気がいい。もちろんアベノミクスという金融緩和による円安政策によるものだ。これは将来に大きなツケを残す政策なのではないだろうかとみんなが疑っている。不安は不安でありながらやっぱり景気はよく,雇用が安定しているから多くの人がこれが続くことを望んでいる。一方では年金も不安である。今回の「年金2000万円」も不安を明確に国民につきつけた。

 今日本は不安の時代にある。現状には満足しながら根底に不安がある。この時代の雰囲気がなぜか安倍政権を支えている。安倍政権が倒れたときに不安が現実のものとなるという恐怖の幻覚を見ているのだ。

 私はこんなに愚かな首相でありながらなぜこんなに続くのか不思議に思っていた。しかしこの人を祭り上げなければ将来の不安が現実になるという幻想が生まれていると考えれば納得がいく。安倍政権が終われば金融緩和が終わり、日本には真の不況がやってくるだろう。だとしたら安倍政権を終わらせるわけにはいかない。もちろんアベノミクスはまやかしだという理屈もわかっている。しかしたとえ騙されたとしてもただ不況の中にいるだけよりはまだ可能性がある。不安だからこそどんなに無能であろうと安倍政権に頼らざるを得ない。そんな空気を作り上げたのだ。

 安倍政権はバブルに似ている。これが終わった時に我々は地獄の苦しみを味わうことになる。しかし幻想をみている我々はそれが幻想だと気づいていない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角田光代さんの「ランドセル」はなぜ教科書から消えてしまったのか?

2019-06-16 07:23:47 | 国語
 以前、三省堂の高校の現代文のやさしめの教科書「精選現代文」に角田光代さんの「ランドセル」が掲載されていた。とてもいい小説である。幼稚園児時代の得体のしれない不安、生きづらさが表現され、そして大人になってからの得体のしれない不安が対比的に表現されている。生徒の感想を読んでも、自分を振り返るきっかけとなっている。とてもいい小説である。しかもこの小説は小学生時代と大人時代がまったく同じ構成で描かれており、技巧面での驚きもある。構成の小説教材としてふさわしいものである。

 今回転勤した学校でも改訂した「精選現代文」を使用していたのだが、この「ランドセル」がなくなっていた。なぜなくなったのだろう。残念だ。

 昔からの定番の小説は絶対になくならないのに、新しい小説は次々変わっていく。これまでも私がいいと思った小説教材はいつもなくなる。それなのに、つまらなすぎて授業がなりたたないといういわゆる定番小説は残っている。もちろんこれは教科書会社のせいというよりは国語教師のせいである。

 国語教育の改革が必要だとあらためて感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前シリーズ 「高大接続改革」という名のもとに政官財の癒着が進行しているのでは

2019-06-12 21:46:32 | 政治
1年前のブログを振り返るシリーズ。いよいよ高大接続改革のデタラメさが、一般にも広まってきた。高校生の立場になってこのひどい改革をやめさせてほしい。なんども言っているが、高大接続改革の基本理念はいい。しかし現実はベネッセなどの癒着企業の利益のための「改悪」であり、この改革によって現在の高校2年生以下の生徒は理不尽な思いしかしないのだ。

「高大接続改革」が進んでおり、大学入試が大きく変わろうとしている。私はこの改革の必要性については賛成する。しかし現実にはこの改革は大きな問題がある。理由は3つある。

 1つ目は生徒にとっては英語の民間外部試験の導入や、「高校生のための学びの基礎診断」、ポートフォリオの導入など(ポートフォリオ自体は無料であるが、ベネッセはポートフォリオのためには「クラッシー」という自社製品が必要であるかのような誘導営業をおこなっていた)、どんどん生徒の経済的な負担が増えていく点である。これでは教育格差は広がるだけである。これは改革の名のもとに企業がぼろもうけし、官僚の天下り先を増やすだけの改革になっており大きな問題があると考えている。

 2つ目は改革の具体的内容がよく議論されていないがために、見切り発車の状態でのスタートになることが明らかである点である。英語の外部試験の導入に関して不公平が生じないのかという疑念にまだ明確には答えられていない。また、国語の記述式問題の処理の仕方がいまだにはっきりしていない。前回申し上げたが、段階化して点数化するというのはあまりにナンセンスだ。

 3つ目は、そもそもこの改革の目的がどこにあったのかがはっきりしなくなってきている点である。大学入試改革は思考力を試す試験に変化することが一番の目的である。ところが現状では思考力ではなく、情報処理能力や会話力などの実用的な力だけが試されるような試験に変化しているように考えられるのだ。

 最近よくPDCAサイクルという言葉を聞く。これは大雑把に言えば常に改善しながら前進するという意味であろう。しかし、PDCAサイクルという言葉を使うことによって「見切り発車」でも許されるという拡大解釈がなされているようだ。小さな事ならばそれも許されるかもしれないが、「高大接続改革」は国家規模の大きな事業である。こんな「見切り発車」でいいはずがない。

 「働き方改革」もそうだが、「改革」という名のもとに結局は一部の人のもうけになるものを作ろうとしているようにしか見えない。そして犠牲になるのは弱い立場の人なのだ。見える議論をしてもらいたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前シリーズ 大学入試の新テストはめちゃくちゃだ

2019-06-11 20:35:00 | 教育
1年前の投稿だが、まったく同じ考えだ。ぜひ参院選の争点にしてほしい。今の高校2年生は実験対象でしかない。高校生が安倍とベネッセの犠牲になる。こんな理不尽がゆるされていいのか。

2020年から現在のセンター試験に代わり、「大学入試共通テスト」が始まる。現状では問題がありすぎて、私は本気で数年延期すべきと考える。このままではこの試験を受ける現在の高校1年生は混乱させられるだけだからだ。大人のメンツのために罪のない高校生が国の実験台にさせられのだ。このひどさにみんな気づいてほしい。

 去年行われた国語の試行問題がひどいものであったことは以前書いた。先日予備校でその分析があり、講師はやはり、試行問題はひどいものであったと指摘していた。試行問題なので今後改善していくことになるだろうが、2年前でこんな状態であることは大きな問題があるのはあきらかだ。

 さらに問題なのは、その利用方法がいまだに明確になっていないということだ。国語の問題に記述式が導入されるのだが、それは他の問題とは違い、段階の評価になると公表されていた。それを大学がどう利用するのか不明であったのだが、結局は段階評価したものを点数化するということになった。だったら最初から点数化するということでよかったはずだ。このあたりにも混乱がうかがえる。

 おそらく国大協でも、方向性は示すことができても、それを現実にどうしていけばいいかわかっていないのだろう。ああ言われればあっちに行ったり、こう言われればこっちに行ったりと瞑想中である。結局はつぎはぎだらけの実施案になってしまっているのだ。

 犠牲になるのは生徒だ。こんな「でたらめ」は許されない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする