とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『やさしくわかる論理の授業』(難波博孝著)を読みました。

2020-07-05 11:28:43 | 国語
 難波博孝氏の『やさしくわかる論理の授業』を読みました。日常語の論理についてわかりやすく説明してくれる名著です。国語教師必読の書です。

 私は論理というと、大学で勉強した論理哲学を思い出してしまいます。数学と言ってもいい。大切なものですが、日常言語では数学のような論理は不可能です。日常言語では言葉の意味もあいまいですし、厳密な数学的な論理もありません。その結果、同じ前提からも違う主張が生まれてくるという場面がよくあります。

 例えば新型コロナウイルスの感染者が増加しているということを事実に対して、感染拡大防止のために休業要請をすべきだという主張もありうるし、休業要請をできるだけすべきではないというまったく反対の主張をすることはできます。これはどちらかが間違っているというものではありません。こういうことを考えると、日常言語の論理なんてただのつじつま合わせでしかないのではないかとも思えてしまいます。

 しかし、やはり論理は大切です。ここには日常言語の論理がしっかりとあるのです。それをすべての人が理解している必要があるのです。

 先ほどの例を用いて説明します。
 日常言語の論理というのは「事実」と「理由付け」と「主張」によって成り立っています。先ほどの例で言えば、「事実」は

 「新型コロナウイルスの感染者が増加している。」

です。それに対しての「主張」は、

 ①「感染拡大防止のために休業要請をすべきだ。」
 ②「休業要請をできるだけすべきではない。」

です。そしてそれぞれに「理由付け」はこうなるでしょう。

 ①「感染拡大防止のためには、『密』をさける必要がある。」
 ②「感染拡大を防止ばかりしていては、経済が回らなくなり、生活できなくなる人が増加するだけであり、より深刻な問題となる。」

 この論理は両者ともに成立しています。この論理のどちららを選べばいいのか。実はこれは受け手側の問題なのです。これがこの本によって明確に説明されているのです。

 筆者はこの受け手側の問題を次のように説明しています。

 そのことばがわかるということ、あるいは論理的であるということには、以下の4つの次元がある、ということになります。

ある言葉が論理的である、ある言葉がわかるとは、
●ある言葉が、ある学問レベルの妥当性を有している。
 =トゥルミンモデル的妥当性にかなっているのがわかる
●ある言葉が、私の、日常レベルの妥当性を有している
 =三段論法と事実の妥当性に適っていることがわかる
●ある言葉に納得する
 =私のもっている、優勢な(代表化された)信念に合致している
●ある言葉に説得される
 =私のもっている、代表化されない信念に響いている

 この4つの次元を区別することは、国語科では重要です。

 この説明は腑に落ちます。論理性は発信者側だけではなく、受信者側も支えなければいけないのです。そしてそれがどのレベルなのかを弁別しなければいけないのです。これができるために国語教育が必要なのです。

 うまい説明にまだなっていませんが、もっと深く学び、もっとうまく伝えられるようになりたいと思います。

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「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を見ました。

2020-07-04 18:12:18 | 映画
 「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を見ました。華やかな人生でも、「平凡な人生」であっても、様々なめぐりあわせの中で、様々な人生の決断がなされます。その決断がまた新たなめぐりあわせを生みます。どんな人生も波乱に満ちている。そんな人生がいとおしく思えてきます。とてもいい映画でした。

監督 
グレタ・ガーウィグ

キャスト 
シアーシャ・ローナン
ティモシー・シャラメ
フローレンス・ピュー
マ・ワトソン
ローラ・ダーン
メリル・ストリープアダム

 原作は『若草物語』、4人姉妹とその家族の物語です。

 4人姉妹はみんな夢を持っています。女優になりたい長女メグ、作家になりたい次女ジョー、画家になりたい三女ベス、音楽家になりたい末っ子エイミー。女性が表現者として成功することが難しい時代に、みんな夢を一途に追い続けています。しかし現実は厳しい。その中で様々な出会いがあり、それぞれの決断があります。その決断のひとつひとつが家族に影響をおよぼし、そして新たな人生へと導いていきます。

 彼女たちの人生は喜び、悲しみ、憎しみ、淋しさ、そして愛に見ています。一人一人の生き方がいとおしく感じられます。

 明日を頑張る気持ちになる映画でした。

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小池百合子氏の「カンセンカクダイ、ヨウケイカイ」に怒りを覚える

2020-07-03 08:58:43 | 社会
 新型コロナウイルスの感染者が昨日東京で107人と大幅に増加した。小池百合子都知事は何の具体的な対策を示さず「カンセンカクダイ、ヨウケイカイ」とリズミカルに都民に呼びかけた。何なんだ、この人は。ふざけたしゃべり方をするな。他人事ではないのだ。東京の感染は東京だけではなく、他県へと波及していくということはすでにわかっているはずではないのか。自分の責任としてもっと具体的な方策を示しなさい。

 一体小池百合子氏の何が受けているのか。この人が東京都知事として何をしたというのか。はったりだけだった。

 東京中央卸売市場の豊洲移転を延期することで、人気を得た。しかしその後、築地を「職のテーマパーク」にすると宣言しておきながら、もうそんなことは忘れてしまっている。

 希望の党を作って、国政に進出した。民主党を混乱に陥れただけで、自身はすぐに逃げ去ってしまった。何の責任もとっていない。

 東京オリンピックの経費の問題で、東京都の経費負担を増やさないように声は上げたが、実は今や闇の中である。

 小池氏は目立つところで目立つことは上手だが、実際は何もしない。何もしないで放り出したまま知らんぷりである。冷静にまじめに考えれば、こんな人が首長であることはありえない話なのだ。

 きのうの記者会見は本当に腹が立った。東京都知事選挙は東京都の問題なので、私は関係ないはずだなのだが、この都知事が東京都以外の人間にどれだけ問題をまき散らしているか考えてほしい。
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井上ひさしさんの思い出

2020-07-02 19:01:40 | 井上ひさし
 井上ひさしさんは山形県出身の作家である。だから親近感を持っていた。しかし井上さんが山形県出身であることを知らないうちから、多くのテレビ番組で出会っていた。

 おそらく一番初めは「ひょっこりひょうたん島」だ。この番組の始まりのころは記憶にない。「ひょっこりひょうたん島」が始まったのは1964年である。まだ私は小さすぎた。物心ついた時にはその番組はあった。内容はまったく覚えていない。おもしろかったという印象だけ残っている。

 もう一つ。そのころ「てんぷくトリオ」のコントが全盛であった。「てんぷくトリオ」というのは三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗のコントグループである。その「てんぷくトリオ」のコントは井上ひさしが書いていた。私は小学校のころ、市の図書館に行って「てんぷくトリオ」のコントの本を借りて読んだ記憶にある。好きだったのだ。その時はこれを井上ひさしさんが書いたことを知らなかった。「てんぷくトリオ」のコントを井上さんが書いたことを知ったときは、不思議な衝撃感があった。

 そして「ムーミン」である。最初の「ムーミン」の何作かは井上さんが脚本を書いている。あの有名な「ねえ、ムーミン」で始まる主題歌も井上さんの作詞だ。トーベヤンソンさんは最初のムーミンにご立腹だったという話を聞いたことがあるが、しかし最初のムーミンは私にとっては、忘れられない名作である。

 井上さんの作品は私を育ててくれた。知らず知らずに、小さいころに井上さんに育ててもらっていたことに、私は大きくなってから気づいたのである。
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