私が大学生のころ、井上ひさしさんの『吉里吉里人』が出版されました。当時大変な話題の作品でした。読んでみると、めちゃくちゃおもしろい。おもしろいだけではない。概念的に理解しにくいことが、小説によって理解できるようになります。衝撃的な作品でした。
私たちは「国」というものを普通疑いません。「当たり前」の存在として考えています。しかし「国」という概念は当たり前のものではありません。例えば「バチカン市国」という国がなぜ存在できるのかを考えてみればわかります。「バチカン市国」はキリスト教の文化が世界中に広まり、しかもキリスト教文化が現在の世界で一番力があるから認められている国だと考えるべきなのです。だからもし現在の世界の権力がイスラム教にあるならば、「バチカン市国」は「国」として成立していないはずです。
気を付けてみれば最近でもスコットランドの独立問題、カタルーニャの独立問題、台湾の問題など、「国」の自明性に揺さぶりをかけるような問題が次々おこっています。
「国」というのは認識なのです。
現在「国」の力を強くするのが主流です。「国」の力を強くするためには経済的な国際競争力を高めることが必要です。そのためには、為政者の権力を強くして中央集権的なシステムを作ることが手っ取り早い。しかしそれは地方の持っている独自の文化を失わせる危険性があります。地方の衰退はは本当の意味では国の力を衰えさせているのではないかと心配になります。「個性」が大切だと建前では言っておきながら、「個性」がどんどん失われている学校教育とそっくりです。
『吉里吉里人』によって私は「当たり前」を疑うころを学ぶことができました。さらにこの考え方は言語論にも、貨幣論を学ぶときに大きなヒントになりました。
地方が消えていく現在に、地方が生きていくヒントを与えてくれる名作です。