とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

岸田首相の決断は評価するが、問題の本質を見失ってはいけない。

2024-01-19 17:11:25 | 政治
 岸田首相が岸田派の解散を明言した。これを書いている現在では二階派も解散すると言明したようであり、旧安倍派も解散するだろうと予測される。麻生派と茂木派は反対の立場のようだが、この流れの中で抵抗することは難しい状況である。全面戦争になるのか、一時撤退するのか興味あるところである。

 岸田氏のこの決断を評価したい。と言っても派閥の解散は問題の本質ではないのは明らかだ。しかも岸田氏の決断は、これまで派閥の論理で自分のやりたいことができなかったことに対する反転攻勢という利己的なものである。だから内容的には評価すべきほどのものではない。しかし政治家はピンチをチャンスに変えるという度胸がなければならない。これまで何も決断できなかった岸田氏が勝負に出たこの度胸を示したという意味で評価したいのである。

 ただし問題は派閥ではないのはあきらかであり、どうせ数年たてば派閥は復活するだろう。派閥の解消だけで終わってしまい、政治資金規正法を今のままでほっといていいというものでもない。そもそも今回の件や、旧統一教会の件で明らかになった自民党の腐れ切った政治がゆるされていいわけではないのだ。

 派閥解散は目くらましにすぎないのであり、今回の一連の事件を許すことはできやしないということは言うまでもない。問題の本質を見失わないように厳しく、そして長い目で見ていく必要がある。
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映画『ニューヨーク・オールド・アパートメント』を見ました。

2024-01-16 15:13:39 | 映画
大都会で格差の中で生きる弱者の不条理を描く映画『ニューヨーク・オールド・アパートメント』を見ました。厳しい現実を描きながらも、したたかに生きていくおおらかさも感じられる映画でした。

ニューヨークで不法移民として暮らす母と二人の息子。貧乏な生活をしながらもなんとか生きています。母はウェイトレスの仕事をしながら2人の息子を1人で育て、息子たちも配達員として家計を支えている。息子たちは自分を“透明人間”だと言います。居ても居なくとも同じような存在だと考えてしまうのです。その2人が、英会話スクールでクリスティンという美女と出会い、恋に落ちます。一方、母親は胡散臭い男性の誘いに乗ってブリトーのデリバリーを開業します。その家族が事件に巻き込まれてしまいます。

ニューヨークにはさまざまな人種の移民が集まってきます。英語もしゃべれないような人も多くいるそうです。不法移民も多く、経済的な格差が歴然として存在します。保守層は移民を異質なものとして排除しようとします。経済的な格差だけでなく、差別が歴然と存在するような状況となっています。近年の保守化の強まりは、グローバリズムの発展と密接な関連があるのです。この保守層にトランプが人気があるわけです。世界中で愛国主義が台頭しているのは、新自由主義のグローバリズムの発展の反動なのです。

この世界的な傾向の中で弱者はさらに弱者となっていきます。しかし弱者はしたたかです。ちょっとやそっとでは負けません。本当の人生を楽しんでいるのは実は弱者のほうかもしれません。

安心安全の中で、既得権のぬるま湯の中で死ぬまで生きていられます。しかしそれが何なのでしょうか。そんな気にさせられる映画でした。
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泥まみれの自民党政権

2024-01-14 09:45:06 | 政治
 自民党の裏金問題が迷走しているように見える。結局東京地検は派閥の幹部の立件を断念したという情報が流れている。田崎史郎氏は政治には金がかかると言い、自民党の「政治刷新本部」という訳のわからない議では派閥に責任を押し付け、本質をごまかしにかかり始めている。ここでも小泉進次郎というボンボン議員は父親の真似をしたしゃべり方で無能ぶりを発揮し、議論を煙に巻こうとしている。結局はリクルート事件の時のように、ごまかされていきそうな予感がする。

 さて、今回の事件における最大の「目くらまし論理」は、結局は選挙で自民党を勝たせた有権者が悪いというものだ。確かに自民党を勝たせたのは有権者である。だからその責任は有権者にあるという論理は一見正しいようにも思われる。しかし、この問題を有権者の性にあるのはおかしい。

 そもそも近年の選挙で自民党が強かったのは、裏金があったからである。その裏金によってたくさんの集票ができたのだ。買収などまではさすがにしなかったであろう。しかし資金があれば票を増やすことはできた。例えばたくさんの秘書を雇い、その秘書が有権者の陳情をたくさん聞くことによって票をかせぐことができたはずである。さらには大企業からの献金によって、その企業が有利になるような政策を遂行すれば、企業が集票をバックアップすることも考えられる。金で選挙に勝つことができたわけであり、不正な金で選挙に勝った以上、それは有権者が悪いわけではなく、不正を行った政治家にその責任があるのだ。実は「政治には金がかかる」の実体がそういうものであったのだ。

 旧統一教会の問題も同じだ。旧統一教会との癒着があったことによって、選挙において旧統一教会からの援助へとつながった。これもまた集票につながったのだ。

 自民党、特に安倍派はあらゆる手段を用いて選挙に勝ってきた。しかし裏金問題は犯罪であり、旧統一教会は自民党と癒着することによって違法まがいの霊感商法を行うことができた。このような社会的な悪によって自民党は選挙に勝ってきたのであり、それを考えれば自民党は嘘にまみれた政党であり、選挙の結果も嘘にまみれていると言っていい。

 よく「野党がだらしないから」という理由で正当化する人もいるが、これもまたごまかしの論理であろう。もしその理屈が通るならば、「野党がだらしないから」選挙に不正があってもいいということになる。貧しいから泥棒をしてもいいと言っているのと同じだ。

 この問題の本質は派閥の幹部が立件されるかどうかにあるのではない。逆に立件されないということが、どれだけ今の日本の政治が泥まみれなのかを明らかにするのだ。
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松本人志氏の報道について

2024-01-11 12:00:37 | 社会
 松本人志氏については、過去このブログで数回批判してきた。『ワイドナショー』を見て、その言動に対して憤りを感じたことがあったからであり、その後、松本人志氏が出ている番組はできるだけ見ないようにしてきた。だから今回の報道で松本氏が活動を休止することは正直言ってありがたいだけである。さまざまな意見も出てきているので私がこれ以上言うこともないとは思っている。

 とは言え、松本氏の今回の件の対応にはやはり不信感がある。松本氏が事実無根であるというならば、きちんと記者会見で自分の主張をすべきなのだ。なぜ逃げるような態度をとっているのかが理解できないのである。事実無根であるならば、きちんと自分の主張が言えるはずである。堂々と戦いに出てくるべきだ。そういう対応ができないというのはあまりにもおかしいし、だれもがより一層疑いをかけることになろう。「ワイドナショー」でしゃべると表明したが、おそらくテレビ局側の意向でそれも認められなかった。当然であろう。事が重大すぎる。重大だからこそ、事実無根ならば逃げてはいけないのである。

 松本氏もいつのまにか権力者になってしまい、常識が見えなくなってしまったのだろう。自分勝手が認められる存在になってしまった。だれもがその存在に忖度し、いつのまにかやりたい放題になってしまったのだ。生前の安倍晋三氏と同じである。やはり権力は人間をだめにする。

 松本氏が今回の報道を事実無根であると主張のならば、すぐにでも表に出て、はっきりと自分の口で詳しく説明すべきである。もし事実であるのならば、それこそしっかりとそれを認め、できるだけはやく謝罪すべきである。どちらかの対応しかあるまい。そのどちらもできない特別の事情があるのならば、その場合もきちんと説明しなければ、ただ単に逃げているだけと見られてしょうがあるまい。

 本気で真面目に謙虚に、前面に出て文春に戦いをいどむならば、松本氏を見直すが、敵前逃亡している今の状況は多くの人が指摘するように「裸の王様」でしかない。これまで多くの人を批評してきたのだから、自分がそのターゲットになったときに逃げるようなまねはしてはいけない。
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映画『PERFECT DAYS』を見ました。

2024-01-09 18:36:10 | 映画
映画『PERFECT DAYS』を見ました。寡黙な男を描く、抑揚を抑えた映画でしたが、だからこそ映像がすべてを描き出す名画でした。

ヴィム・ヴェンダース監督が役所広司を主役に迎え、東京を舞台に清掃作業員の男が送る日々を描いた映画であり、カンヌ映画祭で、役所さんが男優賞を受賞したので話題になった映画です。

役所さんの役どころは、インテリなのになぜか安いアパートに住み、トイレ清掃の仕事をしている不思議な男です。毎日毎日が規則正しく進んでいき、まさに「PERFECT DAYS」です。

おそらく彼の過去には様々なことがあったのだろうと予想されます。しかし、それはまったく語られません。におわせるだけです。他の登場人物もそれぞれがさまざまなことを抱えて生きていそうです。しかし、具体的には何も語られません。しかし映像は様々な人間同士の接触によってそこはかとなく語られるのです。映画ってこうあるべき媒体なのかもしれないなと感じさせられました。

 この映画にはさまざまな世代の登場人物が登場します。若い世代は未来への希望と折り合いがつかずにいます。高齢世代は、迫る「死」にまさに折り合いをとらなければいけません。そのせつなさがしみじみと伝わってきます。

 心の奥にとどく映画でした。
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