<続き>
タイ産土器とある。メナム・ノイかシンブリーか?はたまた初期シーサッチャナーライか?・・・素人で判断できない。
出土地は首里城址や県内の遺跡である。交易によってもたらされた遺物をみて、暫し想いを馳せた。
何と湧田古窯址出土とキャップションに記載されている。湧田窯とは先般紹介したパネルでは、横焔式単室窯にみえる。
ネットで湧田窯を検索してみた。青蓮亭日記なるブログや神田淡平なるHPがヒットした。数寄者がいらっしゃるものである。それらによると、17世紀の初めに薩摩から朝鮮人陶工の一六、一官、三官の3名を招聘し、製陶の指導と作陶に従事させたのが始まりという。琉球で初めて陶器の茶壷や茶碗を焼いた。1682年には湧田、知花、宝口の三つの窯が王府の政策により、統合されて壺屋焼になったと云う。知花の前身である喜名焼が、琉球における最も古い窯で、シャムとの間の南海交易によってもたらされた窯だと云う・・・と記載されている。これは考古学的に証明できる話しなのか、伝承なのか、はっきりしないものの、何やら横焔式単室窯に繋がる話ではある。そのHPやブログは、碗の写真を掲載している。主として碗であるが、その写真が示すのは、背の高い高台とラッパ状に開く器形、それに薄胎である。釉薬は灰釉で褐色からオリーブグリーンまで幅広い。
いずれにしても湧田窯はよく分らない。対岸の浙江や福建の窯業技術と考えていたが、そうでもなさそうなのか?、窯跡が現存するのか・・・まだ調査していないが、現存するようであれば、一度見学してみたい。
<続く>