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〇大成洞古墳は騎馬民族の王墓
金海大成洞古墳は北方遊牧民族、すなわち北方騎馬民族系の墳墓であろう。これらの墳墓は、黄金の副葬品で知られるパジリク古墳(前3世紀前半:大型円墳で積石塚)など、モンゴル北部からシベリアにかけてみられるもので、それがなぜ朝鮮半島南部に突然出現したのか。金官伽耶国では遅くとも4世紀半ばには、高度の装備をもった騎馬軍団が存在したであろう。
(出典・大成洞古墳展示館)
金海大成洞古墳群は、その出土品から扶余系の騎馬民族の王朝『辰王朝』の陵墓であることが推定される。
(出典・Wikipedia)
出土品の中のオルドス型のケットル、これは北方ユーラシアの古代騎馬民族にとって、天神をはじめ神々を祀るときに犠牲を入れて煮て献納するための神聖な祭器、携帯用の一種の祭壇でもあり、王権のシンボルと考えられ、これが出土したと云うことは、大成洞古墳が王墓であり、しかもその王の出自が東北アジアの騎馬民族であったことを示唆している。
<続く>
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