東大阪市立郷土博物館の次は、その近くの東大阪市立埋蔵文化財センターである。ここは一般道に面しており、かつ駐車場も備えてあった。
調査センターの裏手には竪穴式住居が想定復元されている。その裏手は小学校か? 生徒たちの元気な声が聞こえて来た。
裏の小学校は縄手小学校と呼ぶようだ。それにしても威勢の良い声だ。
展示物の時代区分がハッキリしない。時代表示のあるものと無いものが混在している。当該ブロガーで区分したものの妥当かどうか?
以上は縄文時代の出土品で以下、弥生時代の出土品と考えている。ここで土面は、祭祀に用いられたとするのが定説である。面を被り祈り舞をしたのであろうか?
銅剣の石製鋳型は展示してあったが、銅鐸のそれは見なかったと思うものの複製鋳型と、それを用いた鋳造の様子が展示されていた。
実際はどのようにして鋳造していたのか。坩堝は土器であったが、青銅溶解温度に耐えたのか・・・等々興味はつきないが。
<続く>
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