えびの市島内114号墓出土の銀象嵌龍文大刀は、日本書紀が記載する伝承の考古学的な裏付けかと思われる。日本書紀によれば景行天皇と日本武尊の九州遠征記事を抜粋すると以下のようになっている。
景行天皇遠征記事
景行天皇十二年秋七月 熊襲が背いた
景行天皇十二年十二月 熊襲梟帥(くまそたける)誅殺
景行天皇十三年夏五月 襲の国平定
景行天皇十八年夏四月 熊県の熊津彦兄弟誅殺
日本武尊遠征記事
景行天皇二十七年十二月 熊襲の川上梟帥を刺殺
以上である。過去、景行天皇の九州遠征記事をUpdateしているが、その遠征ルート上に熊襲が位置している。
(熊襲の領域とは肥後球磨郡から大隅曽於郡)
銀象嵌龍文大刀に話を戻す。古来中国での龍文様は、皇帝を示す権力の象徴であった。日本での初出は、弥生土器の線刻龍文様であるが、それは畿内のみならず各地から出土している。弥生時代に列島を統一する大勢力が存在しなかったことが、その一因と考えている。
古墳時代では、龍文様をもつ器財は各地から出土しており、銀象嵌大刀もその一つである。
このようにみると、龍文様の独占は大和王権の専用ではなく、地方の有力首長が、各々の地域の権力を示す象徴として用いられたであろうと考えられる。
同じ島内古墳群から、下写真のヨロイカブトが出土している。それなりの出来栄えで、これをもってしても相当な豪族であったことが伺われる。
そのようにみると、えびの市である旧・大隅国曽於郡には、大きな地方権力の存在が認められ、それは熊襲の末裔であろうこと、更には景行天皇、日本武尊の九州遠征記事の考古学的な裏付けになろうと思われる出土品である。
<了>
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