またまた橿原考古学研究所付属博物館シリーズを中断して記す。旧・出雲国と旧・石見国その国境の旧・安濃郡五十猛村に五十猛命(いそたけるのみこと:地元ではイタケルではなく、イソタケと呼ぶ)を祀る、五十猛神社が鎮座する。
父神であるスサノオと共に、新羅から埴船に乗って、五十猛の浜に渡り来たとの伝承に基づくものであろう。
(五十猛神社)
五十猛神社の祭神は、五十猛命となぜか応神天皇であるが、祭神の応神天皇は、ここではPendingにしておく。
今回は『五十猛(イタケル)と伊太氐(イタテ)は同一人物か』とのテーマで記そうとしている。
『日本書紀・神代上』の一書(あるふみ)第四に曰く、「須佐之男命、その子(みこ)五十猛(いたける)神を率いて新羅の国にあまくだりまして曾尸(そし)茂(も)梨(り)のところに居(ま)します。すなわち興言(ことあげ)して曰(い)はく。この国は吾(あれ)居(を)らまく欲(ほり)せじと曰ひて、ついに埴(はに)をもって船につくりて、乗りて東の方に渡りて、出雲の簸の川上にある鳥上の峯に到る(或いは五十猛浜に上陸するとの伝承)」と記され、続いて「初め五十猛神、天降ります時に、多(さは)に樹種(こだね)を持ちて下る。然かれども、韓国に殖(う)えずして盡(ことごとくに)に持ち帰る。遂に筑紫より始めて、凡て大八(おおや)洲(しま)国(くに)の内に播殖(まきおほ)して、青山に成さずといふことなし。所以に、五十猛命を称(なづ)けて有功(いさをし)の神となす。即ち紀伊国に所(まし)坐(ま)す大神是なり」とある。このことから、五十猛命は植林・林業の神とされている。
ところで、出雲は玉造に玉作湯神社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社が鎮座する。祭神は五十猛命であることから、イタケルとイタテ、これはおそらく同一神であろう。韓国とあり新羅とは記されていないが、共に朝鮮(韓)半島から来たものであり、同一神と考えられる。
(玉作湯神社坐韓国韓国伊太氐神社)
この韓国伊太氐(からくにいたて)神社は、旧・出雲国の各地に鎮座している。その理由は、五十猛命の神格とされる植林と、出雲に多い砂鉄からなる精錬の神との認識によるものと思われる。
さて、熊本・江田船山古墳から出土した、台天下獲■■■鹵大王世・・・で始まる、75文字の象嵌銘入り鉄剣に「作刀者名伊太■、書者張安也」とある。
(出典:Wikipedia)
張安との中国人風の名前と共に、鉄剣を作ったのはイタ何某である。これは伊太氐(イタテ)に結びつくと思われる、とすれば五十猛神は製鐵、鍛冶から転じて武器に関する神格をもつ、多元的な神格をもっていることになる。つまり新羅渡来の技術者集団を示しているものと思われる。
尚、弊blog『出雲と古代朝鮮(弐)・須佐之男命考其之弐』を参照頂ければ、幸いである。
<了>
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