<続き>
<北タイの古代人・ルワ(ラワ)族>
北タイの初期の年代記①によれば、ルワ族②について言及している。3世紀、彼らはチェンマイから遠方のタークまでのピン川に沿った平野に居住していた。その居住地はWiang Nopbri、Wiang Chet Linと、今日チェンマイ市内の領域であるWiang Suan Dokであった。
その後、ルワ族の統治者はハリプンチャイ王国の女王チャーマティウィに敗れたが、幾らかのルワ族は、メンライ王治世下まで彼の地に留まった。ルワ族の古くからの儀式は、ランナーの人々の生活様式に影響を与えた。ランナーにおけるインターキンの御柱崇拝③は、ルワ族のSa-Kang御柱④崇拝が起源である。
今日、ルワ族は山岳部でみることができる。彼らは藁葺屋根の高床式住居を建て、農業⑤に従事している。彼らはPalaung-WaないしはRiang語(Mon語に近い)を話し、古くは文字を持たなかったが、後にタイーユワン文字を使うようになった。
ワット・ドイカムで信仰されているプーセ・ヤーセ⑥の人食い鬼(ヤック)もラワ族であると云われている。またチェンマイの北の城門(プラトゥー・チャンパック)から、ラワ族が犬を連れて戴冠する王の先導をするしきたり⑦になっていた。
注)
①具体的な年代記名の記載はなく出典不明
②ルワ族:別名・ラワ族。民族学者・鳥越憲三郎氏によれば、ラワ族は倭
族であり、魏志倭人伝にいう「倭人」、つまり日本人と関係があると推
測している
③スワンナカムデーン伝承記では、インターキンの御柱を「インドラ⑧神
の柱」と記している。写真はチェデールアン寺のサオ・インターキン祭
り中の祠とインターキンの御柱。中央がインターキンの御柱
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④チェンマイ芸術センターの“Chiangmai Legends”なるボードの説明で
は、Sagang柱と記している。北タイーラオスーベトナム北部にかけて、
このク二の御柱なるものが、ク二・集落の中央に座っている。何やら伊
邪那岐・伊邪那美と天の御柱伝承を想起させる。写真はチェンダオの奥
地に居住するバローン族の御柱「ファンチャイバーン」である
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⑤十数年前までは焼畑農業を行っていた
⑥写真はワット・ドイカム麓のプーセ・ヤーセの祠とプーセ・ヤーセ像
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⑦天平時代、天皇の行幸の際に隼人が、行列の先払いとして吠声を発し、
邪気・邪霊を払っていたという故事と、なぜか符合する。写真はチェン
マイ芸術センターのジオラマで、白衣のルワ族が犬と共に王の戴冠式を
先導している
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⑧インドラ神とは帝釈天で、仏教では須弥山の頂上・トウリ天の善見城に棲
み東方の守護神とされ、四天王を配下にもつ。北タイでは何かつけインド
ラ神が顔をだす。写真はウィアンクムカームのワット・チャンカームのイ
ンドラ神でエラワンに騎乗している。以下、当該ブロガーの勝手な解釈・
北タイでインドラ神が人気であるのは、東方の守護神=日の出の守護神=
稲作農耕民が重視する太陽との連鎖であるがどうであろうか?
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<続く>
<北タイの古代人・ルワ(ラワ)族>
北タイの初期の年代記①によれば、ルワ族②について言及している。3世紀、彼らはチェンマイから遠方のタークまでのピン川に沿った平野に居住していた。その居住地はWiang Nopbri、Wiang Chet Linと、今日チェンマイ市内の領域であるWiang Suan Dokであった。
その後、ルワ族の統治者はハリプンチャイ王国の女王チャーマティウィに敗れたが、幾らかのルワ族は、メンライ王治世下まで彼の地に留まった。ルワ族の古くからの儀式は、ランナーの人々の生活様式に影響を与えた。ランナーにおけるインターキンの御柱崇拝③は、ルワ族のSa-Kang御柱④崇拝が起源である。
今日、ルワ族は山岳部でみることができる。彼らは藁葺屋根の高床式住居を建て、農業⑤に従事している。彼らはPalaung-WaないしはRiang語(Mon語に近い)を話し、古くは文字を持たなかったが、後にタイーユワン文字を使うようになった。
ワット・ドイカムで信仰されているプーセ・ヤーセ⑥の人食い鬼(ヤック)もラワ族であると云われている。またチェンマイの北の城門(プラトゥー・チャンパック)から、ラワ族が犬を連れて戴冠する王の先導をするしきたり⑦になっていた。
注)
①具体的な年代記名の記載はなく出典不明
②ルワ族:別名・ラワ族。民族学者・鳥越憲三郎氏によれば、ラワ族は倭
族であり、魏志倭人伝にいう「倭人」、つまり日本人と関係があると推
測している
③スワンナカムデーン伝承記では、インターキンの御柱を「インドラ⑧神
の柱」と記している。写真はチェデールアン寺のサオ・インターキン祭
り中の祠とインターキンの御柱。中央がインターキンの御柱
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④チェンマイ芸術センターの“Chiangmai Legends”なるボードの説明で
は、Sagang柱と記している。北タイーラオスーベトナム北部にかけて、
このク二の御柱なるものが、ク二・集落の中央に座っている。何やら伊
邪那岐・伊邪那美と天の御柱伝承を想起させる。写真はチェンダオの奥
地に居住するバローン族の御柱「ファンチャイバーン」である
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⑤十数年前までは焼畑農業を行っていた
⑥写真はワット・ドイカム麓のプーセ・ヤーセの祠とプーセ・ヤーセ像
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⑦天平時代、天皇の行幸の際に隼人が、行列の先払いとして吠声を発し、
邪気・邪霊を払っていたという故事と、なぜか符合する。写真はチェン
マイ芸術センターのジオラマで、白衣のルワ族が犬と共に王の戴冠式を
先導している
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⑧インドラ神とは帝釈天で、仏教では須弥山の頂上・トウリ天の善見城に棲
み東方の守護神とされ、四天王を配下にもつ。北タイでは何かつけインド
ラ神が顔をだす。写真はウィアンクムカームのワット・チャンカームのイ
ンドラ神でエラワンに騎乗している。以下、当該ブロガーの勝手な解釈・
北タイでインドラ神が人気であるのは、東方の守護神=日の出の守護神=
稲作農耕民が重視する太陽との連鎖であるがどうであろうか?
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<続く>
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