天理市清水風遺跡出土鳥装のシャーマン線刻土器片
奈良・清水風遺跡出土の線刻絵画土器片をご覧願いたい。この線刻絵画は、過去にブログ掲載しているが弥生期のシャーマンを表現したものである。そのシャーマンは両腕を振り上げている。これは鳥が羽ばたく様子を表わしたものであろうが、袖を振る所作を表したようにも見える。
再度、線刻絵画をご覧願いたい。シャーマンの上衣の袖裾が深いと云うか、大きく線刻されている。この様子をどのように捉えるのか。この線刻絵画土器のシャーマンをフィギア化したものが、下に掲載した想定復元フィギアである。それは朱色の鋸歯文で彩られた、長四角のマントを羽織っている。誰が監修したものなのか。線刻絵画土器ではマントには見えず、袖裾の深い上衣に見えるのだが・・・。
土器片から想定されるシャーマン
マントか袖裾の深い上衣なのか。大阪府立弥生文化博物館展示の卑弥呼の想定復元フィギアを下に示す。想定復元するにあたり、誰が監修したかしらないが、明らかに袖裾の深い服を身に着けている。
大阪府立弥生文化博物館にて
この袖裾の深い服は何なのか。これは『袖を振る』ため、すなわち『袖振り』をおこなうためのものであろう。袖振りの所作は万葉集に見ることが出来る。要約すれば、魂を鎮める呪的行為で、別れに際して見送る側が袖を振るのは、旅の安全を祈る行為であった。また愛する人や、冥界へと旅立つ人の魂を招き寄せる招魂の意味をもつ歌が記載されている。弥生後期の線刻絵画土器と万葉集の歌を一緒くたに述べているが、古代人は天空高く飛ぶ鳥の羽ばたきに、生命力と躍動感をもったと考えられ、袖振りはその延長線上に位置づけられる。
下に示したジオラマは、唐子鍵遺跡公園で見ることができる。嘴をつけた鳥装のシャーマンが庶民をまえに呪儀を行っている。これを袖振りの呪儀と理解したい。袖振りの所作をするシャーマンは神そのものであったろうか。
唐古鍵遺跡公園展示のジオラマ
古墳時代に入ると、袖振りから領巾(ひれ)振りに変化するようだ。下の写真は、いずれも群馬県上芝古墳と塚廻り4号墳から出土した巫女の埴輪である。見ると領巾が肩から前面に長く垂れさがっている。この領巾を腕に巻き、手を振ったものと考えられる。
上芝古墳出土埴輪
塚廻り4号墳出土埴輪
『肥前国風土記』松浦郡条の地名伝承である褶振峯(ひれふりのみね)の地名伝承によれば、「大伴の狭手彦連(さでひこのむらじ)、発船して任那に渡りし時、弟日姫子(おとひめこ)、此に登りて、褶(ひれ)を用て振り招きき。因りて褶振峯と名づく」と、袖振りと同じ呪的効果をもつ領巾振りの様子が語られている。
清水風遺跡出土の線刻絵画土器片に刻まれたシャーマン、卑弥呼の袖裾の深い服装も意味があったことになる。
<了>
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