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『鳥をトーテムとする人々』古代日本の鳥族・平群氏始祖伝承

2022-12-30 08:12:01 | 古代日本

過去、『鳥装の羽人は、本当にシャーマンか?』(ココ参照)とのテーマで一文をupdateした。その後も“鳥装の羽人”については、時あれば資料を集めていた。それなりの資料も集まってきたので、その続編という形で『鳥をトーテムとする人々』、副題として”古代日本の鳥族・平群氏始祖伝承”と題して紹介する。

先ず、“鳥装の羽人”について、『鳥装の羽人は、本当にシャーマンか?』に続いて深堀りしてみたい。下の写真は、唐古鍵考古学ミュージアムでみた弥生中期の絵画土器である。

梯子をもつ高床建物、その上方には左向きの鹿、その右隣は両手を持ち上げる人物が描写されているが、当該写真ではそれ以上詳細が分からない。そこで田原本町教育委員会発刊の~唐古・鍵遺跡と清水鳳遺跡の土器絵画~なるPDF資料を援用する。それが下の写真である。

右の人物は、逆台形状の胴体の下に女性の陰部が刻まれている。両手は上方に高々と挙げられ、大きく膨らむ袖が刻まれ、右袖(向かって左)は鋸歯文、左袖は斜格子文が施されている。似た文様に清水風遺跡から出土した弥生時代の線刻絵画土器片がある。下に掲げておく。

これは鳥装のシャーマンと呼ばれる著名な土器片である。

ここで再び唐古・鍵遺跡出土の土器片(壺)に戻る。中央の高床建物・左向きの鹿、その左に角をもつ雄鹿、更に左に丸型の胴体を持ち両腕を挙げる人物が刻まれている。この場面をどのように読み取るのか。主題、言い換えれば表現したいことが刻まれているであろう。

鳥の嘴を付けた鳥装のシャーマン

唐古鍵遺跡公園のジオラマ:嘴をつけたシャーマンが呪儀を行っている

高床の建物は神殿、さらに聖なる鹿を前に巫女が両手を挙げて御託宣か。それを左手の人物が両手を挙げて聞いている姿であろうか。つまり、上掲2葉の写真のような場面かと思われる。

残念ながらそれ以上に想像力が湧かない。頭上に伸びる線は、鳥の羽であろう。これは米子市の稲吉角田遺跡出土の弥生土器にも刻まれている。

これと同じように船上の鳥装の人物は、中国南部から東南アジアの所謂ドンソン銅鼓に見ることができる。鳥をトーテムとする民族・氏族の存在を想わせる。

決定的な弥生期の線刻絵画土器片が存在する。岡山市の新庄尾上遺跡から出土した。

上掲2葉の写真は、岡山市教育委員会のPDF資料から拝借したものである。中央の鳥装の人物の頭部をご覧願いたい。向かって左向きに鳥の嘴が見える。清水風や唐古鍵同様に両手を挙げており、マント状の翼も表現されている。これは鳥装のシャーマン以外の何物でもなかろう。

現代でも鳥(鷲ミミズク)の姿をした頭巾を被り、鳥の羽を模した上衣を着るシーマンが存在すると云う。それは中央アジアのアルマトイ地域のテレンギット族と云われている。テレンギット族も鳥をトーテムとする民族のようである。しかし、中央アジアの民族を持ち出すまでもなく、東南アジアにも鳥をトーテムとする民族が存在する。それについては後段で触れたい。

さて、先の弥生線刻土器の鳥装のシャーマンであるが、我が日本でも鳥装のシャーマンないしは、その後裔と思われる氏族が古文献に登場する。

ミミズク(木菟)を霊鳥とする概念は、日本の古代(上古)にも存在した。雄略天皇・清寧天皇に大臣(おおおみ)として仕えた、平群氏(へぐりし)の始祖伝承にみることができる。それが記述されているのは、日本書紀・仁徳天皇元年正月条である。以下、主要部分を抜粋する。

元年春正月丁丑朔己卯、―略―。初天皇生日、木菟入于産殿、明旦、譽田天皇喚大臣武内宿禰語之曰「是何瑞也。」大臣對言「吉祥也。復、當昨日臣妻産時、鷦鷯入于産屋、是亦異焉。」爰天皇曰「今朕之子與大臣之子、同日共産、並有瑞。是天之表焉、以爲、取其鳥名各相易名子、爲後葉之契也。」則取鷦鷯名以名太子曰大鷦鷯皇子、取木菟名號大臣之子曰木菟宿禰、是平群臣之始祖也。

仁徳天皇元年春正月三日、―略―。初め天皇生(あ)れます日に、木菟(つく)、産殿(うぶどの)に入れり、明旦(くるつあした)に、譽田(ほむた)天皇、大臣武内宿禰を喚(め)して語りて曰く、「是(これ)何の瑞(みつ)ぞ」。大臣、対(こた)へて言(もう)さく、「吉祥(よきさが)なり。復昨日(またきのう)、臣が妻の産む時にあたりて、鷦鷯(さざき)、産屋に(とびい)れり。是、亦異(またあや)し」ともうす。爰(ここ)に天皇の曰く、「今朕が子と大臣の子と、同日に共に産れたり、並(ならび)に瑞(みつ)有り。是天つ表(しるし)なり。以爲(おも)ふに、其の鳥の名を取りて、各相易(おのおのあひか)へて子に名(なづ)けて、後葉(のちのよ)の契(しるし)とせむ」とのたまう。則(すなは)ち鷦鷯の名を取りて、太子に名づけて、大鷦鷯皇子(おおさざきのみこ)と曰へり。木菟(つく・ミミズク)の名を取りて、大臣の子に号(なづ)けて、木菟宿禰(つくのすくね)と曰へり。是、平群臣が始祖なり。

この説話は、平群氏の始祖伝承である。ここでは木菟(つく・ミミズク)が鷦鷯(さざき)と並ぶ霊鳥として語られている。平群木菟宿祢の息子が真鳥宿祢(まとりすくね)であり、鳥の名が親子二代続く。鳥をトーテムとする氏族の存在が推測される

鳥をトーテムとする民族について、テレンギット族の事例を先に紹介した。何も中央アジアの民族に話を飛ばさなくても、東南アジアにも存在する。それはミャンマー北部カチン州の住民カチン族である。それはミャンマーのカチン族集落まで行かずとも、チェンマイ県チェンダオ郡最北端のミャンマー国境に近いサマキー村、そこに移住してきたカチン族集落が存在する。そのカチン族正月の祭壇をマナウ柱と呼ぶ。そのマナウ柱の基部は、サイチョウが刻まれており、かれらのトーテムであることが理解できる。

司祭はサイチョウの嘴と鳥の羽で飾られた冠帽を被る

その正月祭りをリードするのは、ナウションと呼ぶ司祭である。司祭はサイチョウが描かれた上衣を身に着け、頭にはサイチョウの嘴と鳥の羽で飾られた冠帽を被る。

これは岡山市新庄尾上遺跡から出土した、鳥装の人物が刻まれた土器片の姿そのものである。カチン族も鳥をトーテムとする民族である。それが、何時の時代まで遡れるか不詳であるものの、漢族の周囲には古代の習俗が残存しており、これなどもその一部と認識できる。倭族の源流が呉越の地とすれば、我々の先祖に鳥をトーテムとする氏族が、存在していたとして、何の矛盾も感じない。そのように考えると、鳥装の羽人はシャーマンと考えることができる。鳥装の羽人はシャーマンであった。更に大胆に想定すれば、平群氏は呉越から渡来した鳥族を始祖にもつ氏族であったと思われる。

<了>

 



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