<続き>
引続きユーラシア、新羅等の朝鮮半島と日本列島の文物の比較検討を行う。
(ガラス珠付首飾り・味鄒王陵4号墓出土 5-6世紀 慶州国立博物館)
瑪瑙の勾玉の上は水晶珠で、その上の青色に見えるのがガラス珠である。そのガラス珠の源流はユーラシアにある。
(広島県三次市荒瀬古墳出土 みよし風土記の丘ミュージアム)
新羅の地でも勾玉が出土し、一つの墳墓から百数十箇も出土することがある。勾玉の本貫は日本列島側にあると考えているが、或いは朝鮮半島から渡来の可能性は排除できないようだ。
ユーラシアでは、古来から牛や山羊などの角を器とし、7000年前には黒海周辺に土器で作られた角杯が出現した。
(馬装飾角杯 アゼルバイジャン出土 紀元前250-紀元0年 岡山市立オリエント美術館HPより)
(馬装飾角杯一対 釜山市福泉洞古墳出土 釜山市西区公式HPより転載)
ユーラシアと同じような角杯が伽耶の地である釜山市福泉洞古墳から出土している。明らかにコピーしたものであろう。
(騎馬人物形角杯 国立慶州博物館)
同じ伽耶の地である金海からは、騎馬人物形角杯で、馬甲をつけ馬上には楯をもった人物が乗り、その後ろに角杯を取り付けている。これに極似した騎馬人物形角杯断片が橿原市南山4号墳から出土している。
(古墳時代 5世紀 橿原市教育委員会HPより)
これは間違いなく伽耶の地から渡来人が持ち込んだものと考えて誤りはなかろうと思われる。その他に新羅の味鄒王陵7号墳から出土した台付角杯がある。
(台付角杯 5-6世紀 国立慶州博物館HPより)
(明石市図書館HPより)
台付ではないものの角杯は日本の各地でも出土している。明石市金ヶ崎窯址出土の角杯である。このような特殊形状の須恵器も朝鮮半島から伝播したのである。
以上でユーラシア、新羅、列島日本の文物を比較してみた。江上波夫氏が提唱した騎馬民族(崇神天皇)が遣ってきて、征服王朝を樹立したのか、しなかったのか、当該記事をご覧の各位はどのように感じられるのであろうか。
次回は当該ブロガーなりの結論を記事にしたいと考えており、『騎馬民族は遣って来たのか、来なかったのか』とのテーマで5回に渡る記事は、取敢えず今回で終了する。
<了>
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