伽耶展のシリーズを中断している。今回は伽耶展に関連して、伽耶との繫がりを示す熊本県北部和水町の江田船山古墳と出土品について記す。
江田船山古墳は熊本県和水町にある墳丘長62mの前方後円墳である。有明海にそそぐ菊池川の中流域の台地にひろがる清原古墳群に属する。石棺式石室から多彩な副葬品が出土した。アクセサリーは5世紀後半頃(冠帽・冠帯・長鎖の耳飾り・龍文の帯金具など)と、6世紀前半頃(広帯二山式冠・耳飾り・飾履など)に、それぞれ副葬されていた。別の人物を飾るアクセサリーであったと思われる。
耳飾りは大伽耶系の特徴を持つが、全長15cmと異常に長い。ガラス玉で飾る浮子形垂飾りも大伽耶ではみられない。ただ新羅や百済の耳飾りにはガラス玉を組み合わせた事例が存在する。大枠は大伽耶系であるが倭風にアレンジされたものである。
冠帽は金銅製で、烏帽子(えぼうし)のような側板二枚の上縁をフレームで固定して本体としている。側板の透か彫りは、絡み合う二匹の龍を中心に置き、その周囲に火焔のような文様を連続してめぐらせる。本体の下縁には裾板がめぐり、本体は立飾りもついていたようだ。さらに、後面には伏鉢装飾が鋲で固定されている。これは百済系の冠帽であり、百済から贈られたものと考えられる。
大きな宝珠形の立飾りを正面にそなえた金銅製の帯冠。帯冠と立飾りは一枚の金銅板から一体で切り出されている。文様は帯の上下の縁に列点文、その内部に蓮花を横から見たような蓮華文が表現されている。立飾りや帯に円形の歩揺を取り付けている。この帯冠は大伽耶のそれと似ているが、百済にもよく似た蓮華文があり、百済・大伽耶系と考えられている。
龍文帯金具は金銅製で、飾板『C』字形の龍文を立体的に表現している。百済・大伽耶系の帯金具である。
被葬者は『ムリテ』という名をもつ人物で、雄略大王に『典曹人』として仕えていた。その副葬品に中国・朝鮮系の優品が多いことから、ムリテは有明海を通じて朝鮮半島と交流していたであろう。そのことを通じて倭王権と緊密な関係にあり、ワカタケル(雄略大王)の宮廷で『典曹人』としての地位を得たものであろう。
彼は主体的に朝鮮半島の諸社会、特に百済や大伽耶と交渉を重ねながら、一方で倭の外交を補佐し、一翼を担うような実力者が葬られた。百済や大伽耶も江田船山古墳被葬者の交渉能力、倭王権とのつながりを仲介する役割に期待すること大であり、百済王権から最高級の冠帽が贈られたと考えられる。
このように江田船山古墳の被葬者は、倭王権と気脈を通じ伽耶諸国や百済と独自に交渉していた。それは北接する磐井君が新羅と誼を通じていたのと対照的である。そのことは雄略大王の時代とは云え倭は一枚岩でなかったことを物語っている。
<了>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます