大阪府立弥生文化博物館に線刻龍文土器が展示されていた。ここで線刻龍文土器が見られるとは、まさか・・・との印象であった。池上曽根遺跡から出土したとのことである。
今年3月、松江市風土記の丘資料館で『一支国と海の王都原の辻展』を観た。その時にも線刻龍文土器をみたので2例目である。詳細には調べていないが、この線刻龍文土器は全国の弥生遺跡で出土しているようで、10例は下らないようである。四国は今治市新谷森の前遺跡(弥生時代後期前半:今から約1900年前)からも出土している。下のポスター(リーフレット)にその線刻龍紋が白抜きで示されている。
弥生時代後期前半と云えば、邪馬台国の100年前である。邪馬台国前期や邪馬台国の時代、卑弥呼へ下賜されたと云われる銅鏡にも龍文様は刻まれており、この時代に中国から龍は伝播したと考えてよかろう。大阪府立弥生文化博物館には景初三年銘の画文帯神獣鏡が展示されおり、それは大阪府和泉黄金塚古墳の出土と云う。
そこで龍である。龍が皇帝の象徴となったのは、秦の始皇帝以降と云われており、邪馬台国の時代の魏は皇帝の象徴であったことになる。では果たして邪馬台国女王卑弥呼の象徴であったのか? それに関する出土物も無く、中国式の五爪の龍も存在しないと思われ、今回大阪府弥生文化博物館でみた線刻龍文土器も権威の象徴としての龍ではなさそうだ。
では何故、土器に龍文か? 識者は龍神信仰のあらわれであると云う。曰く、古代日本では蛇は脱皮を繰り返すので再生と不老不死のシンボルであった。蛇はネズミを捕食する。そのため蛇は稲作に必要な豊穣の神と考えた。蛇が脱皮した殻を財布に入れると御金が増えるという民間信仰もある。蛇は豊穣神と水神であると云われている。古代中国では龍は水の神、財運の神で中国でも蛇神信仰がそのもとであるという説である。やや眉唾らしい感じがしないでもない。
我が出雲では晩秋11月頃、龍神が漂着する。これはセグロウミヘビと云われ、漂着したそれを龍蛇として神社に奉納される。龍蛇神は神々の先導役として出雲では崇められ、火災予防・水難予防・商売繁盛の神として祀られている。但しこの信仰は平安時代からと云われ、線刻龍文土器の時代とは異なる。
やや横に反れたが、確かに龍は水を呼ぶと古来からの伝承で、これに異論はなさそうである。
魏志倭人伝には『禾稲(かとう)・苧麻(ちょま)を種(う)え』とあり、稲作がおこなわれていたと記す。実際に弥生期の水田稲作遺跡も発掘されている。稲作は太陽と水が不可欠である。弥生時代の土器に水の神“龍”が描かれていたのは必然かと思われ、権威の象徴としての線刻龍文土器ではなかったのである。
しかしこの龍文が龍神信仰の現れと云いえるのかどうか、上述のことから云えるとも考えるが、断言するほどの知識を持ち合わせていない。
<了>
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