大和国の出雲郷(桜井市)とは、何時の代の命名であろうか? ・・・不勉強で知らないが奈良時代頃からであろうか。郷名もそうであるが、出雲系諸神が多いのも不思議と云えば不思議である。大国主命が天孫族に国譲りを行った後、出雲族が大和に強制移住させられたのか?・・・それとも出雲国(出雲族)の分派が蟠踞する大和国出雲郷の地に降下したのか?・・・空想は尽きない。
(出雲大社の東数百メートルの処に鎮座する命主神社の御神木)
(大和国出雲郷大神神社の御神木・巳の神杉)
平安時代編纂の『延喜式』には、出雲国造が上京して天皇の面前で奏上する神賀詞(かむよごと)に、大穴持命が国譲りの際に、自身の和魂(にぎみたま)を大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)と名づけて、大和国の大御和(おおみわ)の神奈備に、子の阿遅須伎高孫根命(あじすきたかひこね)の御魂を葛木の鴨の神奈備(御所市高鴨神社)に、子の事代主の御魂を宇提(橿原市河俣神社)に配置し、自ら(大穴持命=大国主命)は杵築(出雲)大社に鎮座したとある。おまけに素戔嗚命を祀る神社も複数存在する。その大物主を祀る大神神社に遣って来た。
大神神社拝殿前の鳥居は、その古様を示しているであろう。左右の柱に注連縄を渡すだけのものである。
その注連縄が面白い。向かって左側が注連縄の綯いはじめ、右側が綯い終わりで、綯い方向は反時計回り(右綯い)である。この注連縄は全国の神社では出雲大社と当該大神神社、出雲國一之宮熊野大社のみである。
つまり綯い始めと、綯い終わりの順序が、世の他の神社と反対である。これをもって出雲はことさらに異を唱えている。天孫族の故地大和で異を唱えているのは痛快である。
大国主は素戔嗚命の子ないしは、六世孫とも云われている。素戔嗚はアマテラスオオミカミの弟で天孫族にほかならず、従って大国主も天孫族に血は繋がる。つまり体制内野党で、立憲民主党や共産党とは大違いである。出雲の国民ではないが隣国因幡・伯耆の石破さん頑張れ。しかし安倍さんもあと一踏ん張りしてほしい。
<了>
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