<続き>
写真は古代出雲・隠岐から出土した勾玉・管玉にビーズである。それらの材料も多岐にわたっている。
当該企画展は撮影禁止なので、常設展の勾玉類の写真を掲載したが、企画展では松江の月廻(つきさこ)4号墳から出土した紫水晶の勾玉が展示されていたが、それは非常に珍しいとのことで、何やら魅惑的な勾玉であつた。
勾玉の材料は翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、亀甲、ガラスで作られ、土器のものもある。その形状は、動物の牙であったとする説、母親の胎内にいる胎児の形とする説などがある。また縄文時代初期の玦状耳飾りが原形との説がある。日本の縄文遺跡から出土したものが最も古いと云われている。朝鮮半島にも伝播し武寧王陵(公州市・百済25代王墓 462-523年)など韓国内の王墓からも発掘されている。これらは明らかに日本から伝来したものであるが、韓国の学会では古代朝鮮半島から日本へ伝わったとしている。
はたして朝鮮半島から玉作工房が出土したとの事実を背景にして、韓国の学会が宣っているのかどうか知識をもたないが、古代出雲では玉作工房跡が発掘されている。その復元ジオラマを掲げておく。
台与が魏へ『孔青大句珠二枚』進貢したとの記事が魏志倭人伝に記載されているが、飛躍的な解釈をすれば、台与が出雲から調達した勾玉を魏へ持ち込んだと思いたい。その当時倭国は勾玉をステータスとし、東アジア圏では名が通っていたのではないか?
勾玉が出土するのは、日本と朝鮮半島からである。日本から出土する勾玉は量質共に優れているが、司馬遼太郎氏はその著作で”日本の古墳からの出土品は勾玉を含めてエキゾチックな感じがする。これらは結局、朝鮮からきた砂鉄業者が持ってきた文化ではなかったか?”・・・と記しておられる。これは的外れであろう。
<続く>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます