<続き>
前回、吉野ヶ里の祖霊の柱は、クニの柱であろうことを説明してきた。その吉野ヶ里に、鳥居に似た結界がある。
鳥の木製肖形は全国の弥生遺跡から出土する。この鳥肖形については諸説あるが、悪霊の侵入を見張る役目をするのであろう。つまりは”ウチ”と”ソト”との結界である。これを日本の神社の鳥居の原形であるとする説が存在する。あるいはそうであろう。この笠木の天辺に鳥がいる鳥居、そのルーツは朝鮮半島の鳥竿である・・・と、荻原秀三郎氏は指摘する。その著作の中で、氏は以下のように綴る。
その鳥竿のルーツを更に追うと、中国に行きつき、それが最終的にミャオ(苗)族の習俗にもとずいていることを突き止めた。古代ミャオ族は、中国江南に居住する民族で三苗と呼ばれていた。そのミャオ族は、新年になると鳳凰ににた木彫の鳥を止まらせる柱あるいは竿を立てる。芦笙柱という。この芦笙柱は村の広場の中央に立てられる。この神聖な場所は東西軸を重視する。つまりこの芦笙柱は、太陽が依り坐す柱である。太陽と鳥といえば3本足のカラスで、日本では八咫烏と呼ぶ・・・ここまでである。
優れたアナログ的連想であるが、何故鳥居が一本の柱ないしは竿に繋がるのか? 話しがとびすぎ、少なくとも当該ブロガーには理解できない。現在の神社の鳥居は、境内の”ウチ”と”ソト”を区分する結界に他ならず、古来そうであったと思われる。次の写真は、チエンマイ近郊のバーン・トンルアンのアカ族の結界である。
これはアカ族の集落入口にたつ。上に示した吉野ケ里の結界以外の何物でもない。便宜上鳥居と呼ぶが、この結界としての鳥居が、何故鳥竿とか鳥柱に結び付けられるのか?・・・との単純な疑問が湧く。
古墳時代の祭祀における神としての依代、天の御柱、吉野ケ里の祖霊柱、更にはチェンマイの『インターキンの柱』は『クニの柱』で、クニを見守る守護柱である。繰り返すが、これらが何故鳥居に繋がらなければならないのか? 中国南部の芦笙柱、インターキンの柱、日本のクニの柱と鳥居のそれぞれの役目は厳然と区別されていると、思わざるを得ない。以上が2番目に考えたことである。
尚、荻原秀三郎氏の指摘される、芦笙柱と太陽さらには八咫烏、これは中国南部とインドシナ北部に似た説話が残るが、奥が深すぎて、ここでは扱うことをためらっている。次回は3つ目に考えたことを紹介したい。
<続く>
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