三界経(Traiphum トライプーム)とは上座部仏教の伝統的な教理書である。タイでは『トライプーム・プラルアン』がスコータイ朝の第5代・リタイ王(1354-1376)によって、1345年あるいは1359年に約30種の経典類を資料に編纂されたとされる。
歴代王は、トライプーム・プラルアンに見られる、仏教的宇宙観に従って国王=須弥山というイメージを使用し、タイ国民の支配と統合のイデオロギーとして使用したと、『タイの仏教寺院壁画における景観とコスモロジー表現』という論文のなかで山野正彦氏は説明しておられる。この山野正彦氏の説明がランナー朝に適用できるかどうか、については前回までの記述通り、同時代資料がないだけに断言はできないが・・・。
ランナー領域であるチェンマイ県メーチェム郡にワット・パーデート(Wat Pa Daet)なる寺院が存在する。その布薩堂は1888年の建立という。
これらの事柄がランナー朝建国当時の宮殿なり、守護寺院の壁画に描かれていたかどうかは不明である。しかし、牽強付会のような気がしないでもないが、中世ランナー世界もこのようであったかと、考えている。
一度は、このワット・パーデートへ行ってみたいと思っているが、所在するメーチェム郡はオムコイ郡と並び山奥の山奥である。チェンマイから南下しチョムトーン市街の手前を右折し道なりに進むと、チェンマイから約90km走行地点で、ドイ・インターノンとメーチェム分岐に至る。ワット・パデートはその分岐から更に20km以上、山中を走行することになる。片道3時間以上は覚悟する必要があり、未だ訪れることができずにいる。
上に掲げた2つの事例は新しく、中世もそうであったとは断言できないが数々の事例より、ランナーの中世は須弥山ワールドであり、それは陶磁器文様を含めてあらゆるものに、反映されていたと考えられる。
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