<続き>
久方のシリーズ再開である。今回も双方の交流を示すであろう考古学的裏付けで検証してみる。今回は装飾太刀について記述する。
装飾大刀とは把頭に環状の装飾金具を持つ大刀で、この環頭には龍文、獅噛文(しがみもん)、鳳凰文などの聖獣文や三葉文、三繋環などの幾何学文がある。
6世紀前半の安来市・仏山古墳からは獅噛環頭大刀が出土している。6世紀後半になると、松江市・御崎山古墳から獅噛環頭大刀と金銀装大刀更には円頭大刀が、同市岡田山古墳からは三葉環頭大刀と「額田部臣」銘大刀が出土している。ほかに安来市・鷺ノ湯病院跡の横穴墓からは龍鳳環頭大刀が、同市・高広1区1号横穴墓から圭頭(けいとう)大刀、おなじく高広3区1号横穴墓から双龍環頭大刀が、また同市・臼コクリS-2号横穴墓から単鳳環頭大刀が出土している。
①単鳳環頭大刀 安来市・臼コクリS-2号横穴墓
②双環頭大刀 安来市・高広4区1号横穴墓
③円頭大刀 松江市・御崎山古墳
④三葉環頭大刀 松江市・岡田山1号墳
⑤獅噛環頭大刀 松江市・御崎山古墳
⑥獅噛環頭大刀 安来市・仏山古墳
⑦双龍環頭大刀 奥出雲町・原田古墳
6世紀末になると、出雲市・築山古墳から金銀装円頭大刀、同市・国富中村古墳からは圭頭大刀が、安来市・かわらけ谷横穴墓から金銅装双龍環頭大刀が出土している。7世紀初頭になると奥出雲町・原田古墳から双龍環頭大刀が出土している。
(金銀装円頭大刀 出雲市・築山古墳)
尚、松江市・岡田山1号墳から出土した『額田部臣』銘大刀は、6世紀後半には既に大和王権の配下になっていたであろうことを物語る。この大刀の柄頭や銘文十二文字の稚拙さは、新羅渡来人の子孫の製鐵工人が作った可能性があると・・・指摘する識者が存在するが果たしてどうか。尚、柄頭の亀甲文様は、新羅の馬具や鏡の文様に似ているとの指摘がある。
(韓国・国立金海博物館展示)
(韓国・国立金海博物館展示)
上の写真は、韓国・金海市の国立金海博物館展示の装飾環頭大刀二振である。古代の文化・文物は何でもかんでも半島渡来との説には抵抗を覚えるが、これらの装飾大刀は、半島渡来ないしは何がしかの影響を受けていると考えざるを得ない。
<続く>
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