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シリーズを中断していたが再開する。今回は「捩り環頭大刀」を模した石造物いわゆる石人石馬の捩り環頭大刀版である。それに関し「筑紫君磐井と捩り環頭大刀」とのテーマで記してみたい。先ずは展示品を紹介する。
勾金(まがりかね)を注目して頂きたい。これは捩り環頭大刀を模したものである。
藤ノ木古墳出土捩り環頭大刀 復元品 橿原考古学研究所付属博物館
日本書紀によれば、筑紫君磐井は悪者扱いされているが果たしてどうか。磐井の乱を起こす前は、継体王権と友好関係にあったものと考えられる。日本書紀・継体21年夏6月3日条によれば、磐井は近江毛野臣に対し「今でこそお前は朝廷の使者となっているが、昔は仲間として肩や肘をすり合わせ、同じ釜の飯を食った仲だ・・・云々」と言挙げする場面が記されている。つまりヤマトにて継体大王に出仕していたのである。その友好関係は考古遺物からも裏付けできそうである。
岩戸山古墳で石人石馬に繋がる石造物として、勾金形石製品が出土している。これを復元すると捩り環頭大刀(玉纏大刀とも呼ぶ)①となる。玉纏大刀は、藤ノ木古墳から出土した、それが著名である。まさに大王や大首長の持ち物であろう。その捩り環頭大刀は、全国54基の古墳から出土しており6世紀前葉の古墳に集中している。
6世紀前葉と云えば継体大王の時代である。捩り環頭大刀を権威の象徴としたのは継体大王である。陵墓とされる今城塚古墳から、捩り環頭大刀の実物は出土していないが、多くの捩り環頭大刀を模した刀形埴輪が出土している。捩り環頭大刀の配布は、継体大王と古墳の被葬者の結びつきの結果を反映していることになる。
今城塚古墳出土
磐井は岩戸山古墳を生前築墳したと云う。継体大王と険悪になる以前に、石造物にして古墳に並べたものと考えている。
①捩り環頭大刀(玉纏大刀)・ 把の先の部分(把頭)は、平面が楔形で頂部には半円形をした捩り環頭が取り付けられている。
参考文献
筑紫君磐井と「磐井の乱」岩戸山古墳 柳沢一男 新泉社
装飾古墳の謎 河野一隆 文春新書
<続く>
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