世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

DPulze Shopping Centre

2018-01-21 13:48:07 | マレーシア

現在、サイバージャヤのCitadines DPulze に滞在しているが、同一建屋の下層階がDPulze Shopping Centreである。多くの店舗が入店し、それなりの規模であるが、有難いことに日系も数店テナントで入っており、買い物には苦労しない。日系の店舗を紹介しておく。

ヤマハ音楽教室は、日系と云えども我々に用はない。

日系レストランは写真の3店舗。別にパン屋が1店舗(後日紹介予定)在る。

ダイソーの隣にメイソウなる訳の分らない店がある。日系かどうか調べていないのでわからないが、ダイソー同様に日常雑貨等を扱っている。

ということで、買い物はこのショッピング・センターで行うことができ、車のない我々には絶好のロングステー先である。

 


弥生王国・出雲#6

2018-01-21 08:32:32 | 古代と中世

<続き>

4.加茂岩倉遺跡

出雲の弥生遺跡での青銅器出土は、一箇所当たりの出土数が全国最多という遺跡が多い。加茂岩倉遺跡は1箇所で全国最多の39個の銅鐸が出土した。全て国宝に指定され、県立古代出雲歴史博物館に展示されている。当該遺跡では出土時の様子が現地に実物大で復元展示されている。ガイダンス棟には幾つかの銅鐸のレプリカ(現物は県立古代出雲歴史博物館で展示)展示されている。

39個もの銅鐸の一括埋納、大和王権に降った時に埋納されたと考えるが、騎馬民族の襲来に備えて埋納したのであろうか?

                           <続く>

 


PutrajayaからKL間の公共交通機関

2018-01-20 09:01:04 | マレーシア

現在プトラジャヤ、サイバージャヤに居住されている方々には、常識であろうが、今後当地に滞在予定の方々のために記事にしておきたい。

先ずKLIA Transitのプトラジャ・セントラル駅からサイバージャ間は#503、#520バスが運行している。ルートはやや異なるが、いずれもサイバージャヤまで行くことができる。料金は1.5RM(約40円)。過日、午前7時のバスに乗ろうとしたら、カード専用なので現金の場合は後程来るバスに乗れと、乗車拒否された。その翌日判明したことであるが、2018年1月15日より、現金での乗車はできず、プリぺード・カードのみの乗車に変更されたと云う。バス運転手の着服防止対策である。

PUTRA CARDなるプリペード・カードを入手する必要がある。そこで近くの女性に尋ねると、指さしてくれたのが写真のチケット・オフィスで、そこでカードを購入することができた。

カードは5RMで、購入時はプロモーション期間中で、カード代は無料で5RM分の金額をチャージしたカードをくれた。ラッキー。

次は、プトラジャ・セントラルからKLへの移動である。最も短時間(約20分弱)で移動できるのは、先に紹介したKLIA Transitである。料金は14RM。

ついでに、KLIAの料金体系をひとくさり。KLIAからKL Central間は55RM。しかし、KL Centralからプトラジャ間は14RM。ここで一旦下車し。プトラジャの改札を出て再乗車する。KL Centralまでの料金は9.4RM、合わせて23.4RMとなり、通しで購入する55RMの半額以下となる。裏技というほどのものでは無いが、得策ではある。荷物の多い方も問題ではない、各駅にはエスカレータ、エレベータが装備されており問題にはならない。

横道にそれたが、KLIA Transitでは約20分の14RMに対し、バスは#500と#501番ルートが存在する。過日KLのパサールセニ近くのKOTARAYAバス・ターミナルから、#501バスでプトラヤ・セントラルまでバス乗車した際は4RM。値上げ前は1.65RMだから倍以上の値上げ。やることがこせこせしていない。

それがカードだと3.8RM。バスはKLまで約50分、特に急がない場合はバスでよいと思う。他にも何か路線があるとは考えるが、現時点で分ったことを記事にした。尚、#501はKL・KOTA RAYAからプトラジャ・セントラル間、#520はKLの何処が終点か調査しておらず不明。但し我々はパサール・セニまで乗車した。

 


弥生王国・出雲#5

2018-01-20 08:20:12 | 古代と中世

<続き>

3.出雲弥生の森博物館(2)

男王と女王(妃?)の棺から出土した朱と管玉。古代弥生と云えども色彩感覚は優れたものであったであろう。

博多周辺の弥生遺跡でも田下駄が出土しているが、ここ出雲でも出土した。魏志倭人伝には”皆徒跣”とある。つまり裸足である。集落内は裸足でも問題なかろうが、集落の外はブッシュで歩けたものではないと思う。つまり田下駄のような履物が存在したであろうと想定する。

木製の鳥形肖形も出土している。過去何度も触れたが、結界に置かれ、邪悪なものの侵入を阻止する役目を担っていたであろう。吉野ヶ里の想定復元建造物に見られる鳥である。下の縦は朱漆で彩られていた。

朱も何やら呪術めいており、これも邪悪なものの侵入を防ぐものと考えられていたであろうと想定する。

                           <続く>


弥生王国・出雲#4

2018-01-19 08:20:01 | 古代と中世

<続き>

3.出雲弥生の森博物館(1)

(北陸系土器:弥生後期)

(吉備の土器:弥生後期)

(山陰の土器:弥生後期)

銅剣や銅鐸等の青銅器を使ったマツリが廃れた後、四隅突出墳丘墓を造ることに力を注ぐようになったと解説されている。そこからは、吉備や北陸の土器がまとまって出土している。

先に銅剣や銅鐸の一括埋納は、ヤマト王権に屈した証であろうと記述したが、当該解説によるとそうでもなさそうで、四隅突出墳丘墓を築造した人々によって侵略された可能性を、示唆しているようにも受け取れる。ではどのような民族や人々であったろうか?四隅突出墳丘墓の裾には立形の列石や敷石が巡らされ、斜面に貼石がある。これは高句麗・蓮舞里二号墳との類似性が指摘されている。安直で恐縮であるが、してみれば北の遊牧系民族あるいは、誰かさんの唱える騎馬民族か?・・・それらの人々が弥生・出雲王国の主と入れ替わったのか?

墳丘墓の頂には柱穴が残されており、柱を建てたのであろう。これは吉野ヶ里墳丘墓参道脇の柱と、趣旨は同じであろう。それは東南アジア少数民族のラック・ムアン(国の御柱)と同じものと解釈される。

                        <続く>