去る6月14日、メナム・ノイ古窯址に遣って来た。行程については結果論ではあるが、ドンムアンからTAXIをチャーターし、2時間弱でシンブリー市街に到達。そこから国道3030号でバーン・ラチャンの古窯址までは約20kmである。
グーグル・アース上に示したルートで窯址に向かった。シンブリー市街の要所にメナム・ノイ窯を示す道路標識が存在しており、大きな迷いもなく到達できた。尚、最後に見た標識は、グーグル・アースに記した地点で、以下の標識であった。
その標識から直線で4~5kmで古窯址に到着した。横を流れるメナム・ノイ(ノイ川)は下ってバンコク・ランシット上方でチャオプラヤー川に合流する。交易上有利な地点で開窯したことになる。
以下、根拠を確認していないので、信憑性の保証はできないが、クメールが西の拠点としてロッブリーに根拠を置いた時から、メナム・ノイ窯周辺に集落が形成され、窯業の土壌が醸成されたであろうと考えている。メナム・ノイ窯の北隣にワット・プラ・プランなるクメール様式の仏塔(プラーン)をもつ寺院が存在する。この仏塔はアユタヤ王朝初期(14世紀)に建立されたと云われており、その時期には窯業は開始されていたかと思われる。つまりクメール族ないしは、その影響下にあったモン(MON)族が関わっていたと考えられる。
このワット・プラ・プランと窯址の位置関係は、下のグーグルアースに示しておく。
各窯址の裏手には木々が見える。この木々の処は低い丘となっており、窯を築くには格好の傾斜である。
今後、インフォメーションセンターの出土品展示の様子から始まって6号、1号、5号、2号、3号の各窯址を順次紹介したいと考えている。
<続く>