<続き>
今回は、展示されている埴輪を紹介する。
<続く>
『日本書紀』垂仁天皇二十八年と三十二年条に、埴輪の創始伝承がある。出雲の土部(はじべ・土師部)を率いて来、埴輪を作らせた野見宿祢が、土師連の姓を賜り大王の喪葬もつかさどることになったと云う。
また怪力の持ち主でもあったようで、當麻の蹴速を投げ飛ばしたとの伝承も残る。その野見宿祢は出雲に生を受けたとの伝承で、出雲大社境内に『野見宿祢神社』が鎮座している。
尚、野見宿祢は天穂日命の13世孫とされ、現出雲国造家の祖先にあたる。出雲大社境内に鎮座する由縁がお分かりいただけたものと考える。
それにしても場所が分かりにくい。表参道を西に外れた小路の脇に鎮座していらっしゃる。近年、白鵬・日馬富士が土俵入りを奉納したようだ。
<了>
過日、七十有余年にして初めて奉納山に登ってみた。登るというよりも、狭いながら車道が通り頂上には駐車場があった。奉納山は出雲国風土記所載の杵築御崎に位置している。
新羅三埼から八束水臣津野命が、杵築御崎を国引きした舞台である。そこからは、真下に薗長浜(国引きに用いた綱)と杭にした佐比賣山(三瓶山)が遠望できるはずである。頂上に立つとその通りであった。
弓なりに見える浜が薗長浜、遠方の山塊が佐比賣山である。何とも雄大で古代の人々は、小高い山に登り国見をしていたと想像できる。
奉納山から少し離れているが道の駅には、八束水臣津野命が国引きをしたレリーフと云うより巨大な壁面像があった。
東の方、出雲市街を望んでみた。国見の気分が何となく分かる気がした。
<了>
<続き>
今回は、桜井市大福遺跡の出土遺物を紹介する。
以下も大福遺跡出土で、刳り抜き式木棺墓の出土状況が再現展示されていた。この時代、北部九州では甕棺の全盛時期であった。
<続く>