前任校でも行ったことがありますが、今回、久しぶりに、本校以外の学校へ、理解啓発授業の出前に行く機会を得ました。ほんの15分の機会ではありましたが、通級児童が関わる学年の3クラスへ、順番に話しに行きました。学校側からの依頼で、保護者の方の希望に応えるために行われた啓発授業。本来は担任の先生が行われる啓発授業に、アドバイザーとして加わるのが筋ではありますが、僭越ながら、学校側が考える授業の1/3を頂戴して話すことができました。
自己紹介、ことばの教室とは何か、吃音とは何か、疑似体験、吃音者に出会ったらして欲しいこと。以上のような内容を、15分間でぎゅっとひとまとめにしてお話しさせていただきました。3クラスが三様の特色で、授業そのものが微妙に変わらざるを得ない感じでしたが、一番大切だった該当児童のクラスでは、所謂、「珍しいゲスト」に興味津々にぶつかってきてくれる2人の子どもがいました。初めは調子づいて沸き立っていた彼らも、障害の奥深さを知った時、流石に口数は減りました。彼らなりに、ふざけるべき対象ではなかったことを知ったのでしょう。授業後に、直接私のところへ真面目に語りにやってきてくれました。きっとこれからは該当児童の味方になってくれることでしょう。でも、実際にどこまで話を理解してくれたのかは分かりません。しかし、理解啓発というのは、あくまでも「種まき」です。道徳の授業みたいなもので、90人の子どものうち、ほんの一人でも理解してくれる子どもがいれば、それは「明日へ」繋がります。近いうちに「芽が出る」ことを祈ってやみません。
自己紹介、ことばの教室とは何か、吃音とは何か、疑似体験、吃音者に出会ったらして欲しいこと。以上のような内容を、15分間でぎゅっとひとまとめにしてお話しさせていただきました。3クラスが三様の特色で、授業そのものが微妙に変わらざるを得ない感じでしたが、一番大切だった該当児童のクラスでは、所謂、「珍しいゲスト」に興味津々にぶつかってきてくれる2人の子どもがいました。初めは調子づいて沸き立っていた彼らも、障害の奥深さを知った時、流石に口数は減りました。彼らなりに、ふざけるべき対象ではなかったことを知ったのでしょう。授業後に、直接私のところへ真面目に語りにやってきてくれました。きっとこれからは該当児童の味方になってくれることでしょう。でも、実際にどこまで話を理解してくれたのかは分かりません。しかし、理解啓発というのは、あくまでも「種まき」です。道徳の授業みたいなもので、90人の子どものうち、ほんの一人でも理解してくれる子どもがいれば、それは「明日へ」繋がります。近いうちに「芽が出る」ことを祈ってやみません。