晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

国際プロレス編①                       366

2011年11月19日 13時29分24秒 | 昭和のプロレス
■本日(11/19<土>)は、久しぶりにプロレスの記事を紹介します。


■以前、ギャオの昭和TVでプロレスを放映していましたが・・・・。
今回は、“ニコニコ動画”でプロレスを視聴しました。


▼国際プロレス
日本プロレスの元プロレスラーで営業部長を務めていた“吉原功”が創業した団体。
当初はアメリカから外国選手を招聘していたが、その後、ヨーロッパからの外国人選手
ルートが開拓され、ビル・ロビンソンやモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)
など有力選手が来日し、日本プロレスや全日本プロレス・新日本プロレスと違ったプロレス
団体であった。

●人間風車 ビル・ロビンソン VS プロレスの神様 カール・ゴッチ
・1971年(S46)第3回IWAワールドシリーズ
・ビル・ロビンソン(32歳)  カール・ゴッチ(47歳)
両者ともイギリスのビリー・ライレージム(蛇の穴)出身。
ゴッチがブリッチからリストロックで返す、ボデースラムから頭を太ももに挟みパイルドライバー。
攻防が続く、ロビンソンの反撃、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチを返され、必殺技のワン
ハンド・バックブリーカーなど、タイム・アップドロー。
※さすが、正統派選手同士の試合でした。

●人間風車 ビル・ロビンソン VS AWAの帝王 バーン・ガニア
・1974年(S49) AWA世界戦 蔵前大会
・ビル・ロビンソン(35歳)  バーン・ガニア(51歳)
AWA世界戦のセレモニー チャンピオンのガニアからベルトの返還、挑戦者はビル・
ロビンソン。
ガニアのフライング・タックルから十八番のスリーパーホールドで一本先取。
二本目は、ガニアのスリーパーホールドを切り返し、必殺のワンハンド・バックブリーカー
でタイトする。
三本目は、ロビンソンのコブラツイストやガニアのバックドロップで両者ダブルノックアウト。
※ガニアの老獪さが光ります。

●人間風車 ビル・ロビンソン VS 怪力無双 ストロング小林
・1970年(S45) 第2回IWAワールドリーグ決勝
・ビル・ロビンソン(31歳)  ストロング小林(30歳)
白黒画面の放映。
小林は海外修行(欧州)で実力を上げ、IWAワールドリーグの決勝戦に進出。
小林のヘンドシザースにロビンソンの顔面がゆがむ。
リング中央でロビンソンのコブラツイスト、小林のボディーシザースと続くが、ロビンソン
の必殺技、ダブルアーム・スープレックスでマットに沈む。一本先取。
二本目は、ロビンソンの速攻が続き、得意技のワンハンド・バックブリーカーが、続いて
ボディースラムを叩きこむ。
小林の空手チョップ攻撃から得意技のアトミック・ドロップをロビンソンがトップロープを
蹴り、ロビンソンが押さえ込む(ストレート勝?)。
ワールドシリーズ優勝、IWA世界ヘビー級(国プロ版)ベルトを高々と掲げる。
※ロビンソンの技の切れやスピードが圧倒していました。

▼ビル・ロビンソンは、国際プロレスのエース不在(若手が育っまで)時代、エース
格として日本で戦い、その後、エースとなるサンダー杉山と対戦を続けました。
バーン・ガニアの紹介によりアメリカのAWA団体へ進出。
AWA世界ヘビー級に幾度か挑戦しましたが王座奪取することはなく、その間、新日本
プロレスや全日本プロレスに来日し、猪木選手・馬場選手と対戦。
現在は、東京・高円寺に定住しています。




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