2022年11月17日 大谷ダム
大谷ダムは左岸が熊本県阿蘇郡高森町尾下、右岸が同町津留の一級河川大野川水系大谷川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
大分県竹田市荻町一帯は阿蘇火砕流による火山噴出物が厚く堆積し、透水性が高い一方浸食により谷は深く、揚水技術のない時代丘陵上に広がる平坦地の開墾は困難を極めました。
江戸初期、当地を治めた岡藩は岡山藩で治水・利水に大きな功績を上げた熊沢蕃山を招聘し開墾を試みるも失敗、明治初期まで荻町の大半は地目が『荒地』のままでした。
明治後半より近代土木技術の活用により開墾地よりも標高の高い上流に水源を求め、豊後地方で井路(いろ)と呼ばれる灌漑用水路を引くことで、各所で大規模な開墾が試みられます。
荻町でも県境を越えた熊本県高森町の大野川上流大谷川に水利権を獲得し1924年(大正13年)に荻柏原井路が通水し本格的な新田開発が進められました。
一方で、従来より大谷川を水源としていた音無井路の取水量が激減したことで同井路との水争いが激化、さらに少雨による渇水も多く安定した水源確保が求められます。
そこで荻柏原耕地整理組合は大谷川へのダム建設を決断、1934年(昭和9年)に着工し1940年(昭和15年)に竣工したのが大谷ダムです。
ダム建設地は当時人馬も通わぬ秘境であり、土堰堤に必要な粘土質の土や石積み堰堤に必要な石材が入手困難だったこともあり、現地での成型が容易なコンクリートを使用し全国でも希少なコンクリートブロック張粗石コンクリート造りが採用されました。
当時コンクリートは高価な貴重品でしたが、地主などの資産家が私財をなげうち事業に協力したそうです。
現在は耕地整理組合を引き継いだ荻柏原土地改良区が管理し、約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
大谷ダムはダムに通じる管理道路入り口に厳重な門扉が設置され、関係者以外の立ち入りは制限されています。
今回は荻柏原土地改良区様のご厚意により職員様同行での見学機会を得ました。
見学の詳細については別項の大谷ダム見学 をご覧ください。
先ずはダム下から
堤高25.1メートル、堤頂長98.6メートルで、よくぞ昭和初期にこんな秘境にこのようなダムを造ったものだというのが正直な感想。
副ダムからカーブを描くコンクリートの下に取水塔からの水路が埋設されています。
ここが灌漑用水路である荻柏原井路のスタート地点となります。
コンクリートブロック張の堤体
ただ長崎では間知石サイズのブロックが使われているのに対し、当ダムのブロックは格段に大きいのが特徴。
堤体は左右非対称で、左岸側は法面保護のためスロープ状の導流面が設けられています。
ダム下の穴は排砂口で、現在は河川維持放流口となっています。
減勢工の下には結構大きめの副ダム。
下流面
大きなコンクリートブロックが寸分の隙間なく積まれているのがわかります。
全面越流式の堤頂部
堤頂部は数メートル幅があり、非越流時は歩いて対岸に渡れます。
左岸側の側水路?
左岸を越流した水はここから上記スロープを流下します。
左岸法面を保護するためのものです。
天端から
9月の台風14号により被災し、ダム下は結構荒れています。
職員さんの話では越流した水が副ダムを飲み込むほどの水量だったようです。
右岸の取水塔
昭和10年代のダムでは堤体に接続した半円形の取水塔が多いのですが、当ダムでは完全な円形。
基部の石積は竣工当時のままですが、上部建屋は戦後刷新されたようです。
アングルを変えて
総貯水容量は200万立米を超え、有効貯水容量は150万立米。
昭和15年当時は農業用ダムとしては屈指のスケールでした。
右岸から見た堤頂部。
ダムは熊本県高森町にありますが、受益地は県境を越えた大分県竹田市となり管理も荻柏原土地改良区が行っています。
大野川上流域では1979年(昭和54年)より国営土地改良事業大野川上流地区が着手され、2022年(令和4年)に大蘇ダム が竣工しました。
事業の竣工により竹田市では新たに1600ヘクタールに及ぶ水田、畑地向け灌漑設備が整備され、荻柏原土地改良区はこの最大受益地となっています。
荻町は西日本屈指のトマトの生産地で高原トマトとして強いブランド力を誇っており、ダムの完成により当地区農業の一段の飛躍が期待されます。
(追記)
大谷は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
2675 大谷ダム(2657)
左岸 熊本県阿蘇郡高森町尾下
右岸 同町津留
大野川水系大谷川
A
G
25.1メートル
98.6メートル
2021千㎥/1500千㎥
荻柏原土地改良区
1940年
◎治水協定が締結されたダム