イネの栽培試験はとっくに終わっていますが、一部の水田には冬の間も水を張ることになっています。冬期湛水(冬季湛水)と呼ばれる農法で種々のメリットがあるとされています。ただしイネの非作付期間ゆえ農業用水は当然ながら止まっているため・・・・・
キャンパス内を巡る環濠(お堀)の水を汲み上げて使っています。このセッティングには結構苦労しました。
日が経つにつれて次第に水が抜けにくくなってきたお陰で給水は週に1度か2度で済むようになりましたが、だいたい30〜40分かかるので、それを毎朝のランニング時に行うようにしました。ただし何かのトラブルで水の供給が途絶えると「空引き」の状態になってポンプの故障を招くため、キャンパスからは出ず、ひたすら圃場(水田、畑その他)の周囲を走っています。
今日は牧草地でちょっと珍しいものを見ました。
放牧されているヤギ3頭のうち1頭が高さ1mほどある台の上にいました。(私がスマホを取りに戻る前は4本足で立っていました。)学生か誰かがわざわざ担ぎ上げたとも思えません。
別方向から見たらこんな感じです。いちおう階段状になっていて駆け上がれなくはないようです。とはいえ台上に美味しい餌がある訳でもないでしょうし、目的が何なのか謎です。(他の2頭は全く興味を示さずひたすら草を食っています。)給水を終えて自室に戻る途中、飼い主の先生のお部屋を訪ねて訊いてみましたが、理由は分からないとのことでした。ただし、そうするのはいつも同じ1頭のようです。単に目立ちたがりなんでしょうか?
年賀状の図案といえば、私が「宛名職人」というアプリで作成するようになったのは1997年版から。その記念すべき最初のものが下ですが・・・・(ちなみに今の職場に採用されることが決まって滋賀に戻ったのが翌年の春でしたから、判ってみれば写真は研究員の身分で名古屋に住んでいた頃のものでした。とにかく髪が黒い。)
そのヒントを与えてくれたのは当時所有していたこのアルバム(後述する歌手のデビュー盤)のジャケットでした。(ただし中身の音楽までが激しい怒りに満ち溢れており、聴いていると耳に刺さってくるように痛い。ということで後に手放しました。)ちなみにそれは国内盤のみに使われたらしく、海外盤では同様のスキンヘッドながら穏やかな写真が採用されています。
実はその「シネイド・オコナー」という女性歌手を知ったのは南米在住時代のことでした。夜は毎日のように英BBC国際放送(短波)の音楽番組を(クラシックに限らず何でも)聴いていましたが、彼女の "Nothing Compares 2U"(最後は "to you" と読んで下さい)は最終的に1990年シングル部門の2位に入るほどの支持を集め、ヒットチャート番組では毎週のように流れていました。私はその旋律、歌詞、そして透き通った声に魅了され、いつしか大のお気に入り曲となりました。(ついでに言わせて下さい。この超名曲にしょーもない邦題を付けた阿呆の後頭部を「クライスラーか!」と言って引っぱたきたい。→追記:こちらに国内盤の収録曲一覧が出ていますが、半分はカタカナ書きしただけ、そして残りの半分はテキトーというか、真面目に考えるのを放棄したとしか思えないような代物がほとんど。プロとして恥ずかしくないか?)
それで帰国後に買い求めたのが、同曲を収めた2nd アルバム(上画像左)でした。こちらで全曲試聴可能ですが、先述のトラック6以外も名唱をズラッと揃えた傑作です。(私の耳には一部のハードロック調ナンバーが騒がしいだけと聞こえて以前は飛ばしていましたが、シンミリした曲ばっかしだと単調になるため、「必要悪」というか一種のスパイスとして加えられていると今では解釈しています。)またラストに収められたアカペラ独唱によるタイトル曲 "I Do Not Want What I Haven't Got"(注)には仏教の悟りの境地まで感じたのでした。(注:意味は「私は手に入れていないものを欲しいとは思わない」ぐらいでしょうが、ここでも国内盤制作者は何を血迷ったのか、それに「蒼い囁き」という陳腐で意味不明の邦題を付けてしまいました。冒涜としか言いようがないです。)しかしながら・・・・
この人はその見た目だけでなくお騒がせな行動でも注目されており、満員の観客の前でローマ法王の写真を破り捨てたり、米合衆国国歌の斉唱に加わるのを拒否したりというニュースを耳にして(今風に言うと)「ちょっとイタい人なのかな?」と思っていました。しかしながら、このような抗議行動も決してスタンドプレーではなく、こちら(写真事件の顛末)で説明されている通り「いかに非難されようとも、そうするより他はない」という捨て身の覚悟でカトリック(祖国アイルランドの国教)の最高指導者に絶縁状を叩き付けたのでした。(ちなみに私は当時リンク先ページの続編で触れられているシーン、すなわち2度目の "War" を歌って凄まじいブーイングを浴び、その後共演者の腕に倒れかかるのをテレビで観て衝撃を受けました。その模様を収めたと思しき動画は削除されてしまっていますが。後日、歌手は引退を表明したものの周囲の説得で撤回したんじゃなかったかな?)なお、この問題については今年の秋にBBCニュースが採り上げているのを何度も観ました。ようやくにして加害者を処罰するための法整備に入ったようですが(こちら参照)、遅きに失した感は否めません。
次の名曲カバー集も佳作揃いでしたが、曲が私好みでなかったためスキップ(レンタル屋で借りただけ)。そして続く4th アルバム(画像中央)が2ndに勝るとも劣らない会心作でした。音楽雑誌のレビューにはたしか「痛々しいまでにピュア」と書かれていたような。私的には後半に固められているピアノ伴奏やアカペラの曲が秀逸ですが、他にまだ幼い息子さんをゲスト出演させているのも微笑ましいです。そして最後を飾る "Thank You for Hearing Me" は文字通り謝辞の音楽で "Thank you for ~ing"(○○してくれてありがとう)というフレーズが幾度となく繰り返されるのですが、最後を "Thank you for breaking my heart"(私の心をズタズタにしてくれてありがとう)で結び、屈折したところもしっかり見せてくれます(苦笑)。ところで、ディスクやブックレットに印刷された歌手名のロゴに「ダビデの星」が添えてあるので「アレッ」と思ったのですが、日本語解説には歌手の強い希望で当盤の発売日がユダヤ教の贖いの日になったとありました。(ただし、その後検索したものの彼女が改宗したという事実は確認できず。傾倒はしていたのかもしれませんが・・・・・)
その次作と次々作も予約して発売日に入手したと記憶していますが、前者は気に入らなかったようで残したのは画像右の後者のみです。タイトルにアイルランド語の "Sean-Nōs Nua"(こちらによると同国伝統の歌唱法)を付けたことからも判るように民族音楽を集めており、改めて聴いても耳に優しく心地よいです。
その後しばらくして引退のニュースを聞き、長いこと疎遠になっていたのですが・・・・・・この記事執筆のためWikipediaの歌手ページを訪れ、略歴の最終行に驚かされました。「2018年、イスラム教への改宗」(&改名)っていったい? よくよく考えてのことだろうと想像するし、本人が望んだのであれば何も言うことはありませんが、私にはそれで心の平安が得られるのか疑問に思われてなりません。とにかく気性の激しい人ですし、宗教の性格からしても。(ちなみに検索すると「4度目の離婚相手とスピード復縁」「行方不明」「遺書」「薬物を過剰摂取」「依存症の治療」などショッキングな言葉が続々と。相変わらずのようです。)ということで、「2nd アルバムの終わりでも無我の境地を示していたんだから最後は仏教に帰依してみたらいいんじゃないの?」と私は勝手に思ったのでした。元から容貌も尼さんみたいだったし(←おいおい)
そのヒントを与えてくれたのは当時所有していたこのアルバム(後述する歌手のデビュー盤)のジャケットでした。(ただし中身の音楽までが激しい怒りに満ち溢れており、聴いていると耳に刺さってくるように痛い。ということで後に手放しました。)ちなみにそれは国内盤のみに使われたらしく、海外盤では同様のスキンヘッドながら穏やかな写真が採用されています。
実はその「シネイド・オコナー」という女性歌手を知ったのは南米在住時代のことでした。夜は毎日のように英BBC国際放送(短波)の音楽番組を(クラシックに限らず何でも)聴いていましたが、彼女の "Nothing Compares 2U"(最後は "to you" と読んで下さい)は最終的に1990年シングル部門の2位に入るほどの支持を集め、ヒットチャート番組では毎週のように流れていました。私はその旋律、歌詞、そして透き通った声に魅了され、いつしか大のお気に入り曲となりました。(ついでに言わせて下さい。この超名曲にしょーもない邦題を付けた阿呆の後頭部を「クライスラーか!」と言って引っぱたきたい。→追記:こちらに国内盤の収録曲一覧が出ていますが、半分はカタカナ書きしただけ、そして残りの半分はテキトーというか、真面目に考えるのを放棄したとしか思えないような代物がほとんど。プロとして恥ずかしくないか?)
それで帰国後に買い求めたのが、同曲を収めた2nd アルバム(上画像左)でした。こちらで全曲試聴可能ですが、先述のトラック6以外も名唱をズラッと揃えた傑作です。(私の耳には一部のハードロック調ナンバーが騒がしいだけと聞こえて以前は飛ばしていましたが、シンミリした曲ばっかしだと単調になるため、「必要悪」というか一種のスパイスとして加えられていると今では解釈しています。)またラストに収められたアカペラ独唱によるタイトル曲 "I Do Not Want What I Haven't Got"(注)には仏教の悟りの境地まで感じたのでした。(注:意味は「私は手に入れていないものを欲しいとは思わない」ぐらいでしょうが、ここでも国内盤制作者は何を血迷ったのか、それに「蒼い囁き」という陳腐で意味不明の邦題を付けてしまいました。冒涜としか言いようがないです。)しかしながら・・・・
この人はその見た目だけでなくお騒がせな行動でも注目されており、満員の観客の前でローマ法王の写真を破り捨てたり、米合衆国国歌の斉唱に加わるのを拒否したりというニュースを耳にして(今風に言うと)「ちょっとイタい人なのかな?」と思っていました。しかしながら、このような抗議行動も決してスタンドプレーではなく、こちら(写真事件の顛末)で説明されている通り「いかに非難されようとも、そうするより他はない」という捨て身の覚悟でカトリック(祖国アイルランドの国教)の最高指導者に絶縁状を叩き付けたのでした。(ちなみに私は当時リンク先ページの続編で触れられているシーン、すなわち2度目の "War" を歌って凄まじいブーイングを浴び、その後共演者の腕に倒れかかるのをテレビで観て衝撃を受けました。その模様を収めたと思しき動画は削除されてしまっていますが。後日、歌手は引退を表明したものの周囲の説得で撤回したんじゃなかったかな?)なお、この問題については今年の秋にBBCニュースが採り上げているのを何度も観ました。ようやくにして加害者を処罰するための法整備に入ったようですが(こちら参照)、遅きに失した感は否めません。
次の名曲カバー集も佳作揃いでしたが、曲が私好みでなかったためスキップ(レンタル屋で借りただけ)。そして続く4th アルバム(画像中央)が2ndに勝るとも劣らない会心作でした。音楽雑誌のレビューにはたしか「痛々しいまでにピュア」と書かれていたような。私的には後半に固められているピアノ伴奏やアカペラの曲が秀逸ですが、他にまだ幼い息子さんをゲスト出演させているのも微笑ましいです。そして最後を飾る "Thank You for Hearing Me" は文字通り謝辞の音楽で "Thank you for ~ing"(○○してくれてありがとう)というフレーズが幾度となく繰り返されるのですが、最後を "Thank you for breaking my heart"(私の心をズタズタにしてくれてありがとう)で結び、屈折したところもしっかり見せてくれます(苦笑)。ところで、ディスクやブックレットに印刷された歌手名のロゴに「ダビデの星」が添えてあるので「アレッ」と思ったのですが、日本語解説には歌手の強い希望で当盤の発売日がユダヤ教の贖いの日になったとありました。(ただし、その後検索したものの彼女が改宗したという事実は確認できず。傾倒はしていたのかもしれませんが・・・・・)
その次作と次々作も予約して発売日に入手したと記憶していますが、前者は気に入らなかったようで残したのは画像右の後者のみです。タイトルにアイルランド語の "Sean-Nōs Nua"(こちらによると同国伝統の歌唱法)を付けたことからも判るように民族音楽を集めており、改めて聴いても耳に優しく心地よいです。
その後しばらくして引退のニュースを聞き、長いこと疎遠になっていたのですが・・・・・・この記事執筆のためWikipediaの歌手ページを訪れ、略歴の最終行に驚かされました。「2018年、イスラム教への改宗」(&改名)っていったい? よくよく考えてのことだろうと想像するし、本人が望んだのであれば何も言うことはありませんが、私にはそれで心の平安が得られるのか疑問に思われてなりません。とにかく気性の激しい人ですし、宗教の性格からしても。(ちなみに検索すると「4度目の離婚相手とスピード復縁」「行方不明」「遺書」「薬物を過剰摂取」「依存症の治療」などショッキングな言葉が続々と。相変わらずのようです。)ということで、「2nd アルバムの終わりでも無我の境地を示していたんだから最後は仏教に帰依してみたらいいんじゃないの?」と私は勝手に思ったのでした。元から容貌も尼さんみたいだったし(←おいおい)