真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

2011年3月27日 日曜日

2011年03月27日 23時24分44秒 | Weblog
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 東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)3号機のタービン建屋内で起きた作業員3人の被曝(ひばく)で、3人が作業に入る6日前の18日、2号機のタービン建屋地下で、通常時に比べて異常に高い放射線量を確認しながら、東電は作業員に注意喚起をしていなかったことがわかった。東電は「情報共有が早ければ被曝を防げた可能性がある」と認め、謝罪した。

 東電福島事務所によると、6日前の18日、2号機のタービン建屋地下1階で放射線量を測定したところ、作業員の被曝線量の上限(250ミリシーベルト)を上回る毎時500ミリシーベルトだった。

 一方、3人の作業員が3号機で作業を始めたのは、24日午前10時半ごろ。作業員には2号機の情報は伝わっていなかった。前日にはなかった水が深さ15センチになっていたが、3人は前日の作業では線量が低かったこと、「タービン建屋は通常、線量が高い場所でない」と思っていたことなどから、水につかって作業をして、局所被曝した。18日のデータが事前に伝わっていれば、作業員らの思い込みを防げた可能性がある。

 東電福島事務所の担当者は「情報共有が悪かったために24日の被曝が起きた。おわびしたい。今後は社内の情報共有に努めたい」と述べた。

 東電や経済産業省原子力安全・保安院によると、1、2号機のタービン建屋地下にも高い放射線量の水がたまっていることがわかった。1号機では、24日に水を採取して分析。3号機と同様、通常の原子炉内の冷却水より約1万倍強い、1立方センチ当たり380万ベクレル(放射能の単位)の放射能が検出された。

 含まれている放射性物質の種類は3号機とほぼ同じだった。燃料に含まれる物質が検出されているうえ、半減期の短い物質が多いことから、原子炉内から漏れ出した可能性が高いという。

 2号機の水は、表面付近の放射線量が毎時200~300ミリシーベルトだった。これにより、1~3号機について、今後、配管の損傷などからどういう経路で漏出が広がったのかを調べていくことになる。

 水の深さは3号機で最大1.5メートル、2号機は1メートル、1号機は40センチ。4号機でも、放射性物質の状況は不明だが、80センチの水がたまっているという。1号機では、ポンプを使って建屋内のタンクに排水する作業を進めている。

 また、2号機では26日午前、消防ポンプで原子炉に送り込んでいた海水を真水に切り替えた。海水に含まれる塩分の悪影響を防ぐためで、これで原子炉を冷却する必要がある1~3号機すべてが真水の注水になった。

 午後には2号機の中央制御室の照明が点灯した。1、3号機に続き3基目。

 とっくに庶民はわかっているのにどんどん、事実が明らかになる。
私が間違っていてほしかった。 既に手遅れ、昨夜に夢見も悪かったし、終わった。

今回の福島原子力発電所事故は、大災害を引き起こす大事故であった。
たまたま幾つかの偶然が重なり、何とか核爆発は、免れたようであるが、実際は、中性子が放出されていたので、核爆発に発展する危険性さえあったのだ。
 このとき制御室は使用しておらず、制御できない状態であったのだから、運が良かったとしか言えない。
既に炉心が破壊され、燃料の被覆冠が溶解していて、核が空気中にさらされている状態である。
このことから、終息させるためには、上手く行って、数十年かかる可能性さえある。
 既に東京電力では、地震のせいであり、つまみが想定外であった、と言う、事を口に言い出している。
今後補償問題で、不可抗力だとの言い訳を準備しているわけである。
想定外で済まそうと言う事は、企業家の上等手段である。

2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件。航空機を使った前代未聞の規模のテロ事件であり、覚えている人も多いであろう。
 あの時私たちがテレビの映像を見ていて、世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟に、8時46分アメリカン航空11便が突入して爆発炎上していた。9時3分に南棟にユナイテッド航空175便が突入し、爆発炎上した。この様子は1機目の激突で現場中継を行っていたので、前代未聞の衝撃的な映像を見せられたのだった。
この時点でツインタワービルは崩壊するとは誰も思っていなかった。それは、ツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていた。
しかし、衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった。想定外だとされたのである。

 今回も綱にも高さが想定外であった、と言っている。果たしてそうであろうか、多くの人が津波の危険は言っていたのであり、チリ津波の時の怖さを知っていたのである。1000年に一度起きるかどうかわからないものに、そんなお金が掛けられるか、と言うのが本音のはず。
 本来日本は、水力発電が主流であった。補うために火力発電を使っていた。つい40年ぐらい前までである。
それがコストが安いからと、原子力発電に切り替えるのであるが、始めのうちは誰もが素人であるので、手探りで注意しながら作っていった。だから実際にかなりのコストが掛かっていた。
 ここ十数年前からであろうか、原子力の怖さを忘れ、悪魔の火を自由に操れると、勘違いし始めた。その結果が、コスト削減、削れるものは、他人の命さえ削ったのかこの結果である。

 テロとか、爆発などと言う言葉を使用すると、アメリカの何とかと言う機関がチェックするらしいと言う噂を聞いたことがある。だから昨夜の夢の事を書いておこう。
  
日本の原子力発電所は
泊発電所 北海道電力 北海道古宇郡泊村 3基 加圧水型原子炉
東通原子力発電所 東北電力、東京電力青森県下北郡東通村 1基 ほか建設中1基・計画中2基 沸騰水型原子炉 東北電力2基、東京電力2基。
女川原子力発電所 東北電力 宮城県牡鹿郡女川町 3基 沸騰水型原子炉
福島第一原子力発電所 東京電力 福島県双葉郡大熊町と双葉町の2町にまたがる(1号機~4号機は大熊町,5~6号機は双葉町)6基 ほか計画中2基 騰水型原子炉  
福島第二原子力発電所 東京電力 福島県双葉郡富岡町 4基 沸騰水型原子炉  
東海第二発電所 日本原子力発電 茨城県那珂郡東海村 1基 沸騰水型原子炉
柏崎刈羽原子力発電所 東京電力 新潟県柏崎市 7基 沸騰水型原子炉  新潟県中越沖地震で運転停止も、2011年までに4基が運転再開
浜岡原子力発電所 中部電力 静岡県御前崎市 3基 ほか計画中1基 沸騰水型原子炉 2基は2009年1月に運転終了し廃炉へ
志賀原子力発電所 北陸電力 石川県羽咋郡志賀町 2基 沸騰水型原子炉
敦賀発電所 日本原子力発電 福井県敦賀市 2基   ほか計画中2基 沸騰水型原子炉、加圧水型原子炉
美浜発電所 関西電力 福井県三方郡美浜町 3基 加圧水型原子炉
大飯発電所 関西電力 福井県大飯郡おおい町 4基 加圧水型原子炉
高浜発電所 関西電力 福井県大飯郡高浜町 4基 加圧水型原子炉
島根原子力発電所 中国電力 島根県松江市 2基  ほか計画中1基 沸騰水型原子炉
伊方発電所 四国電力 愛媛県西宇和郡伊方町 3基 加圧水型原子炉
玄海原子力発電所 九州電力 佐賀県東松浦郡玄海町 4基 加圧水型原子炉
川内原子力発電所 九州電力 鹿児島県薩摩川内市 2基   ほか計画中1基 加圧水型原子
もんじゅ 日本原子力研究開発機構 福井県敦賀市 1基高速増殖炉 2010年5月6日に運転再開、7月に炉心確認試験を終了
そして稼動中で無いものが、解体中の
東海発電所 日本原子力発電 茨城県那珂郡東海村 黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉 1998年3月31日運転終了
建設中のものが、
大間原子力発電所 電源開発 青森県下北郡大間町 沸騰水型原子炉 2008年5月27日着工 2014年運転開始予定
計画中が
上関原子力発電所 中国電力 山口県熊毛郡上関町 沸騰水型原子炉 2018年運転開始予定
浪江・小高原子力発電所 東北電力 福島県南相馬市・双葉郡浪江町 沸騰水型原子炉 2020年運転開始予定
計画中止したものが
芦浜原子力発電所 中部電力 三重県度会郡南伊勢町・大紀町 2000年に計画断念
串間原子力発電所 九州電力 宮崎県串間市 1997年に計画断念
珠洲原子力発電所 関西電力、 中部電力、北陸電力 石川県珠洲市 2003年に計画凍結
豊北原子力発電所 中国電力 山口県下関市 1994年に白紙撤回
巻原子力発電所 東北電力 新潟県新潟市西蒲区 2003年に計画断念
等となっている。

X○年○○月1日 日本と某国の外交は最悪の状態にあった。全ての外交手段がなくなり、後は戦争も辞さない、状態となった。日本は安保条約を盾に、強気の外交を試みようとしていた。
 2日 某国の特殊部隊の潜航艇20隻が某国の港を出た。漁船団を装っているので、まったく気にもしていなかった。そいて、それぞれは、時間を合わせ、夜陰にまぎれて、地図の17箇所に上陸。1基につき3、4名の特殊部隊で事は足りたのである。警備はしていても、武装はしていない日本の原始力発電所の制御室を征圧するのに、1時間も必要としなかった。そして彼らは全ての電源を爆破して、一人の犠牲も出すことなく日本から去っていった。あとは、今回と同じである。コントロールできなくなった原子炉は暴走し、溶解してむき出しの核燃料から大量の中性子が飛び出し、核の連鎖が始まりとめる事が出来ず、溶解した炉心は地下水に触れたとたん、水蒸気爆発を起し、放射性物質を、成層圏まで吹き上げるのである。当然日本の国土は無人と化して、火の灰は地球を何週もして南半球の全人類が被ばくし。南半球にもお及び、数年後には人類のほとんどが消えてしまう、と言うシナリオであった。
 これは、昔「渚にて」と言う映画を見たからだと思うが、日本を取り巻く外交の悪化もあって、こんな夢を見てしまったのであろうが、テロを恐れる、あまりかに置き換えても、アメリカも原子力発電所の警備を、より一層に固めるべきだと。今回、あまりにも簡単に、原子力発電所が、暴走するので、案じられた。

 図書館友の会のページの修正でもやろうとパソコンの前に座っていた。14時37分携帯の呼び出し音が鳴る。出てみると友の会の大澤さん。(歳だね、思い出すまでに時間がかかった。)古本市は中止したが、定例会は行なうと言ったのに、ケロッと忘れてしまった。時間を見て14時からなのに、既にこんな時間か。パソコンの電源を落とし、すぐ着替えをする。
14時45分家を出る
14時50分 六仙公園では、救援物資を集めていた
  
 15時生涯学習センター2階と聞いていたが、受付で部屋番を尋ね5号室に行く。 定例会では、古本市の変わりにすぐに何かをやろうと言う話。
 昔の子ども遊びのイベントをやりたいと言っている。
ビー球、面子、コマ回し、おはじき。などなど、市場に駄菓子の問屋がある事を教えてやる。
 若い奥さんから、大切な話が。「現在は危険と言うことで、学校でもやらない」と言う話。こう言うのは、い割らなければ解らなく、言われてみれば、ごもっとも。おはじきなど、間違って飲み込む危険。年少児も来るであろう。コマは人にぶつけ怪我の心配がある。こんなご時世、十分な目が届かない、危険性がある。で、やめる。
では何を、 秩父さんが見えていた。映画会、図書館の視聴覚室を4月3日2時間、押さえてあるとの事。他の事は次回の予定にして、映画会なら、人を集める事で家庭の電力を節電できる。電気を消して上映するし。と私の意見。
15時45分で部屋を返す時間、ロビーで続きの話をする。
 結局短編を2本、赤い風船と白い馬を上映する事になる。すぐにチラシを、お鉢は私。忙しいのに。
志藤さんが印刷をしてくれる事、になり。 出来たらメールで送る事にして。16時30分を過ぎて解散する。
16時55分 落合川に出る。 地球が怒っている気がして、雲まで、不気味に見えてしまう
  
こぶし橋に向かうが、いつもと変わらぬ、鴨が泳ぐ水辺。
  
17時20分家に戻る。
パソコンの電源を入れ、チラシを作り始める
20時夕食 22時19分メモに日付が3月4日となっている、4日の曜日を調べたら月曜日、おかしいと思い大澤さんに電話をして、4月3日と確認する。
22時30分風呂、
 
23時 聞いてきたメールアドレス宛志藤さんにチラシを添付して送る。片付けはじめているとメールがあり、早いなと思ったらエラーメッセージ。送れていなかった。メールを再度確認する。@t.vodafone.co.jp
ボーダーホン手携帯じゃなかったっけ。検索で調べてみる。前に聞いていたニフティーのアドレスに再度送って見る。
 久保木さんにも送る。
パソコン電源を切り、布団に入る。ニュースは見ないぞ、でも見て、テレビに向かって、文句を言い始めている。危ない。「赤い風船」を見始める。2時30分寝る。
コメント
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