あぁビールはうまいっ!珍しく追加して飲んでます。特に理由はないけれど。
こうやってビールを飲みながら想うのも悪いなと思いつつ、
1911年の11月27日、スコットもアムンセンも南極点をめざして行動していた。
スコット隊は帰路のためのデポ(南緯82度付近)設営地点をめざしている最中。
アムンセンはというと、南緯86度地点に到達、「悪魔の氷河」が待ち構えているあたり。
緯度1度は約111㎞。もうこれくらい差が開いていた。
さて。私もそう詳しくないし、浅い知識しか持ち合わせていないのですが。
シャクルトン、スコット、アムンセン。
極点を追い求めた三人ですが、その最期はご存じでしょか。
スコットの話は有名です。スコット隊5名全滅。
これは書くと長くなるので省きますが、スコット隊は階級制度の縦社会だったようで、
一番最初に亡くなった水兵エバンスに関してはどう葬ったかの記述がない。
二番目に亡くなった(自己犠牲による自殺)オーツ隊員は行方不明のまま。
スコット、ウィルソン、バワーズの三人は、残されたスコットの日記の最後の日付は3月29日。
スコットが一番最後に亡くなったと思われます。
発見されたスコットのテントの上に雪を積み、スキーの十字架を立てた写真。
その後慰霊碑は別の場所に建てられていますが、遺体はまだ回収されていないはず。
一方、南極点初到達を果たし無事生還したアムンセンはというと。
アムンセンは本当にやりたかったのは皮肉にも北極点踏破だったんですね。
子どもの頃から北極探検を夢見てた。
(ノルウェーの冬の夜、窓を開けて寝ては密かに寒さに対する訓練をしている子どもだったそうです)
ところがピアリーに先を越されてしまった。
(北極の北西航路初成功したのはこのアムンセンです)
それで、まぁ、騙し討ちといわれている、行き先変更で南極点踏破となったのですが。
帰還後、飛行艇や飛行船で北極に行っているんです。
1926年には北極横断飛行に成功、1927年には来日している。
ところが。
1928年、北極を探検中の飛行船イタリア号ノビレ隊の遭難の捜索に赴き、行方を絶っています。
遺体も見つかっていない。
これは南極点のテント、ポールハイムに別れをつげている写真。
シャクルトンはというと。
エンデュアランス号全員無事生還のあと、そのままマッキントッシュ隊の救援に向かっている。
さすがボスだ。シャクルトンは読むにつれ「ボス・親分」に値する人だったんだよなと。
優秀な経理担当の秘書でもついていればまたロス支隊の結果は違っていたのかも。
話が前に戻りますが、シャクルトンとスコットは第一回南極探検で一緒に行動しているんです。1902年。
で、これがどうも合わなかったみたいで。お互いにこいつとはやれねぇみたいな。
1909年、ニムロデ号でシャクルトンは南緯88度23分まで迫ったけど、食糧不足でここで撤退。
南極点まで、あとおよそ180キロ。悔しかっただろうなー。
これはそのときの写真。となりのワイルドさんはエンデュアランス号でも一緒だけど、顔がなまら怖い。
1911年アムンセン南極点到達。
1912年スコット南極点到達しつつも帰路で全滅。
1914年エンデュアランス号漂流。
そして1922年1月。新たな南極探検にまたシャクルトンは出かけているんです。
出かけたけれど…。心臓発作を起こし死亡。
南極点を目指した三人、奇しくも三人とも極地で亡くなっている。
(シャクルトンは手前のサウス・ジョージア島ですが)
シャクルトンの遺体はそのままサウス・ジョージア島に埋葬されて、そこにお墓が立っています。
祖国の自宅のベッドの中で亡くなってないんですね、この三人は、揃って。
アムンセンの遺体は不明、スコットの遺体は未回収。シャクルトンはあのサウス・ジョージア島。
死の場所まで。
いやぁ、ビール飲みながらで申し訳ないなと思いつつ、ついつい書いてしまいました。