村上春樹氏、ノーベル文学賞受賞となりませんでしたね。残念。
いったい今回でノミネート何度目になるんでしょ。
村上春樹氏といえばポール・サイモン、ポール・サイモンといえばアイルトン・セナが浮かんできます。
セナは若くして逝ってしまったけれど、この三人は目が似ていると思っているのですが。
目のカタチではなく目から放っている何かが似ている。
そんなにしょっちゅう村上さんを見ているわけではないのですが、
写真をみるたびそう思ってしまいます。
さて、102回目ですが、これはもうスランプというか、
先月あたりから「時期」を外れてしまったのかも。
時間が足りないわけではないけれど、
まず、目がつらい。
そして眠気が猛烈に襲ってくる。
今回は一応3冊と数だけはありますが(そうでもないけれど)、
どの本もきちんと読み終えているわけではありません。
斜めだったり、わずか数十ページだったり。
きまりとしては、この10日間に読んだ本(挫折も含む)の17ページの6行目をアタマから書き写す、
そして、紹介にも感想にもならない雑文を添える形となっています。
桜庭一樹短編集/桜庭一樹
「ええ。運転席のほうに、相手の車が突っ込んできましたから。おかしいわね。うちの夫なら、
ユーミンの罪/酒井順子
遠い波の彼方に金色の光がある
江戸時代のロビンソン 七つの漂流譚/岩尾龍太郎
とを想起されたい)。一七七一年、あるニュースが太平の江戸社会を揺るがした。ロシアの捕虜となっ
桜庭さん、挫折。
赤朽葉家の伝説が私としてはかなり好きで、以後何冊か読んではいるけれど…。
手にするタイミングが悪かったのか、それとも赤朽葉家が私にあっていたのか。
う~ん。
突然無性に読みたくなるのが酒井さん。
突然といっても、実は自分の中になにか理由がきっかけがあるのはわかっているけれど、
定量というか、酒井さんの毒気が満杯になったら、
「もういいです」と途中だろうがぽんと置いてしまうのも酒井さん。
今回は読みたくなって手に取ったのではなく、
図書館で順番待ちだった本がこのタイミングでまわってきた。
ユーミンは聴きました。コンサートにも2度かな? 行っている。
レコード、CDじゃなくてLPね、あれはどこまで持っているのだろう、
今では聴くこともなくなったけれど。
「ユーミンの罪」というか、その時代時代の女性の検証かな、
助手席性とか私を連れて行ってとか。
確かに読んでいて、痛い。ずばずば指摘されているようで、痛い。
血がでちゃいそう。
痛さのあまり、途中で置きました。
いやぁ、確かにそうだな、意識せずに、引きずったまま生きてきたのかもしれない。
こじらせてはいないと思うけど。
これはいつか仕切り直しだな。
いったん返却して、後日買うか借りるかするか。避けてしまうかもしれないけれど。
とっても惜しかったのが、江戸時代のロビンソン。
これ、面白いのよ、面白いんだけれど、読みにくい。
―略―、あるとき、海に囲まれた日本列島ゆえに古くから膨大な漂流事例があるはずなのに、
それらの事例が我々の祖先の苦難に満ちた膨大な体験としてまったく伝承されておらず、また、そ
れらを素材にした漂流物語が今日でも極めて少ないことに気付き、愕然とした。ロビンソンと比較
するに、浦島太郎?桃太郎??海洋文学と言えるものなど皆無ではないか。冒険物語もほとんどない。
岩尾さんは20年間資料を収集・比較・研究してこの本を書かれたそうで、
その時代の背景や文化まで照らし合わせ、説明してあります。
実に面白い。
この面白いというには愉快という意味ではなく、興味がつきないという意味合いで。
シャクルトンの名前も出てきます。
ただ古文書の引用が多くて、これが読みにくい。
できれば現代文に訳してあればと望んでしまうのは私の学のなさでしょか。
シャクルトンのエンデュアランス号漂流もそうですし、
今回の江戸時代の長期にわたる無人島滞在、異国に漂流もそうだけど、
劣悪な環境の中で生き抜き、何十年もかかって帰還する、
その気力はどこから生まれるものなのでしょう。
あー、シャクルトン読み返したくなってきた。
あ、この本でも登場する吉村昭氏の「漂流」も読み直さなければ。
どんどん先が詰まってゆく。
「老後」のために持っていく本のうちの一冊はエンデュアランス号関連ですね。
シャクルトンかランシングか、両方でしょか。
以上、102回目でした。